新緑ノスタルジア

生きていくのがVERY楽しい

スマイレージ・アンジュルムの歌詞抽出・分析、、、してみた。

※タイトルは道重さゆみさんリスペクトです

またかよと言う声が聞こえてくる気がしますが味を占めたのでまたやります。

この作業、慣れてしまえば1時間もかからずできてしまうので結構楽して面白いデータが得られるんですよね……文明の利器……。

今回はスマイレージアンジュルムの歌詞を分析、そのデータを比較してそれぞれの類似点や違いを明らかにしていこうと思います。

※集計に関する注意事項

  • 歌詞は「歌ネット」に掲載されている情報に基づき、スマイレージ49曲、アンジュルム44曲分を入力*1
  • ハロ内外問わずカバー曲は除外
  • アンジュルムのみ)ソロ曲、ユニット曲も計上
  • 「○○ がんばらなくてもいいんだよ!!」「○○ がんばらなくてもええねんで!!」、「夢見た 15年」「わたしの夢見た 15年」はそれぞれ両方計上
  • 動詞はすべて原型として考える
  • 集計、分析結果のミスはすべて筆者の責任とする

今回も歌詞のテキストデータ化にはこちら↓の記事を参考に「Lyrics Master」を、

prehyou2015.hatenablog.com

語句の抽出、分析用に「KH Coder」を使用した。

それでは早速見ていきましょう。今回はスマ・アンジュ同時にデータを見ていきます。

頻出語句150

まずは頻出語句から。どちらも左の列から順に1~50位、51~100位、101~150位。

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それぞれ青色は「概ね予想通り」だと思った単語、赤は「気になる」単語、アンジュにしか登場しない*2黄色は印象的なワンフレーズを繰り返す曲が多いな……?と気づいたのでそれを表している。「恋はアッチャアッチャ」だけで48回も「Accha」と言っているのは驚き。

……それで、データで比べてみると方向性の違いがものすごくわかりやすくなる。

まずスマで上位20位以内に入っていた「笑顔」がアンジュだと51~60位圏と一気に割合が低くなる。「涙」についてはスマでもアンジュでも圏内入りしているが、アンジュだと「泣く」「泣ける」が新たに見られるようになり泣くこと、涙についての表現の幅の広がりが見られる。この二点はスマイレージアンジュルムそれぞれのグループ名の由来とも大きくかかわるため、それがデータでも現れたことはとても面白い結果と言える。

一方、「私」と「君」の違いはどうだろうか。スマでは大きく差をつけて「私」の方が多いが、アンジュではほぼ同数である。このことから「私」の心情の揺れ動きを主に歌ってきたスマイレージ、そこから「君」ともより多く対話するようになったアンジュルムという比較もできるだろう。

また、スマイレージになくてアンジュルムにあるのが「熱い」である。たしかに「大器晩成」以降の流れを汲んだ熱くなれる楽曲が「アンジュルムらしい」と言われるようになっていったので納得。この路線変更をより印象付けるために、「次々続々」あたりまでパワーのある同じフレーズを繰り返した曲が多かったのだろうか、とも思った。

そして、どちらでも上位に入っているのが「愛」「好き」。一見同じように見えてもスマイレージの「愛」「好き」はそのほとんどが恋愛感情について歌ったもので*3アンジュルムになるとそれ以外の愛情全般(桃奈が言うところのBIG LOVEである)についても広く歌われるようになる。

私としてはなんとなく当初の予想通りだな~と感じたんですが皆さんはどう感じましたか?

共起ネットワーク図

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抽出したデータをもとに作った共起ネットワーク図も用意して見ました。この図からは

  1. どの単語が近い関係にあるのか(単語同士の距離)
  2. 単語どうしの繋がり(単語を結ぶ線、太くて濃いほど強い繋がり)
  3. 単語の登場頻度(円が大きいほど頻出)

を読み取ることができます。比較的強く結びつきグループ化した単語同士は同じ色で表されています。

どちらも「愛」がかなり存在感強めですけど(アンジュルムは愛進愛退の影響がかなり強そう)繋がる単語が全然違うのが面白い。時代は「来る」ものなスマと「変える」ものなアンジュ。あとスマだと「夢」と「恋」が繋がってるのが可愛いですね。

この辺を見ていくとかなりそれぞれの方向性の違いがわかりやすくなったのではないでしょうか。

おまけ・形容詞で見るスマ・アンジュ

KH coderを使うと品詞別の抽出語句も見られるのですが、データを眺めていると形容詞に特徴が表れていると思ったので「形容詞(漢字入り)」から上位20個、「形容詞B(オールひらがな)」から上位10個ずつ抜き出してみました。

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これがスマイレージで、

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これがアンジュルム

(「ない」と「いい」のことを考えてもうちょっと下まで出せばよかった)

やっぱり「楽しい」が上位に来るスマイレージ、「熱い」が上位に来るアンジュルムで端的に個性の違いがわかる。

結びにかえて

やっぱりデータにするとそれまで何となく感じていた雰囲気の違いが数字や図といった目に見える形になってわかるので面白いですね。あと何年かしたら和田リーダー体制のアンジュルム―竹内リーダー体制のアンジュルム、と比較もできそうなのでそこも楽しみ。反省点としてはハロ内の他のグループとも比較できたらと思いました。*4

*1:そのため一部の舞台挿入歌などは対象外

*2:あえてスマに入れなかったのは後述

*3:「女」「女の子」「恋愛」が多いのも頷ける結果

*4:特にスマイレージはカバー元のグループの傾向と比較しても良かった

彼らは何を歌ってきたのか―BOYS AND MEN楽曲の歌詞抽出・分析、祭nine.との比較を添えて

前回の記事↓で「ボイメンらしさ」を語るのに欠かせない(と、勝手に思っている)「ボイメンのガンバリズム」について書いたわけだが、

lettucekunchansan.hatenablog.com

じゃあその「ボイメンらしさ」とやらを形成してるワードって何なのよ?ということで、BOYS AND MENの歌詞テキストをデータベース化し、使用された語句を抽出、出現回数の多い順に並べることで見えてきたもの、感じたことを書いていきます。

個人的に「ボイメンらしさ」といえば「夢」「熱い」「走る」あたりのワードが連想されるんだけど、果たしてどれぐらいあるのか……?

 

※集計に関する注意事項

  • 歌詞は「歌ネット」に掲載されている情報に基づき、BOYS AND MENの楽曲63曲、祭nine.の楽曲32曲分を入力(47都道府県ツアー企画としての「TOKIO」カバーは「NAGOOOOOYA」のみ計上)*1
  • 歌の繰り返し部分もそのまま入力
  • (一期生のみ)ソロ曲やユニット曲も計上しているが、「BOYS AND MEN」名義ではない「第七学園合唱部」や「恋するスイーツレシピ」での楽曲は計上しない
  • 動詞はすべて原型として考える
  • 集計、分析結果のミスはすべて筆者の責任とする

今回歌詞のテキストデータ化にはこちら↓の記事を参考に「Lyrics Master」を、

prehyou2015.hatenablog.com

語句の抽出、分析用に「KH Coder」を使用した。

 頻出語句150

頻出語句150

左の列が頻出1~50位、真ん中が51~100位、右の列が101~150位。

個人の判断で「これはボイメンらしいのでは?」と思った項目は青、「意外だ」「気になる」と思った項目は赤、「何これ??」となる項目を黄色で塗り分けています。
これを予想通りとするか意外とするかは読んでいる皆さん次第だと思いますが、私個人としては「概ね予想通り」でした。以下、それぞれ青、赤、黄色の項目について書いておきます。

名古屋を背負い、ボイメンの看板を背負い、前向きに連れ出していく

一番多いのが「GO」でなのは「GO!!世侍塾 GO!!」や「ガッタンゴットンGO!」の影響かとも思いましたがそれ抜きにしてもまあまあ多い。「行く」「走る」もあるし、そりゃあDon't Think, Go!の略でD.T.G.にもなりますわ……。

そして「BOYS AND MEN 夜露四苦」「かましてこうぜテッペン」「ヤングマン~B.M.C.A.~」中心に「ボイメン」「BOYS AND MEN」(集計システムの都合で1単語ずつ区切られているが)もよく出てくる。みんな自分とこのグループ好き過ぎじゃない?「名前だけでも覚えて帰ってほしい」がっつき具合が何ともこのグループらしいし、「NAGOYA」「なごや」と名古屋愛も忘れない。

そして「笑う」「信じる」「夢」「変わる」とポジティブなワードが並び、「ほら」と聴き手に呼びかける。「愛」は色恋沙汰以外も含むさらに広い枠でも語られた。ボイメンの楽曲が前向きに聴き手を連れ出していくパワーにあふれていることは前回の記事でも違う視点から述べたが、データを通して見てもこういう傾向が出てくるのは面白い。

意外と弱気?「今」と「未来」の多さは?調べてみました!

一番個人的に意外だったのが曲中の一人称で「俺」より「僕」の方が多かったことなんですよね。割と初期から長いこといる。ちなみに一曲の中での使い分けでは「DOGI MAGI」が秀逸で、「君と僕で世界変えてゆこう」と呼びかけるときは「僕」、自分の心の中で念じてる「全俺よ大志を抱け」は「俺」。*2

「涙」「泣く」に関しては、「涙を拭いて闘う」「きみの涙こぼれぬよう未来先回り!」のように涙を止めるポジション、「つらいときは一緒に泣こう」「ついた傷や流す涙忘れはしないよ」「悔し涙もウェルカムカム」「泣き続けてここまで来た」と涙も肯定するポジション、「この涙は見せられない」と強がるポジション……と実に多様な使われ方が見られた。恋愛を題材にした曲だと「泣きながら出ていく」「なんでお前が泣いてんだよ」と物語を彩るパーツとして効果的に使われているのがわかる。

あと気になるのが「今」>「未来」なところ。どちらも日本語の歌詞では多い(よね?)フレーズだが「今」だけでなく「今すぐ」も含めての結果だと考えると納得がいった。「今」を強調するために挿入されている場合が多く、これが疾走感や熱さにつながっているのかもしれない……。「未来」も前後のフレーズは希望がある。

あと「終わる」も引っかかるんだけど「終わりはわからない」「終わらない」「終わらないで」とネガティブ一辺倒にはならない模様。

「恋」はこんなに恋愛ソング歌ってたっけ!?って個人的にびっくりした。「恋」が使われている恋愛ソングだけでも割といろいろなパターンの恋愛が歌われてて面白い。

困惑の2選

「返上」に関しては本当に何かわからなくて何かと思ったら「こうつうあんぜんのうた」の中だけで29回も出てきた。マジかよ。

「サワディ」もまさか1曲の中で17回も出てるとは思わなんだ……。

動詞30選

多分動詞に一番特徴が出ていると思うので動詞頻出上位30語も貼っておきます。こっちも概ね予想通り。

動詞頻出30

共起ネットワーク図

共起ネットワーク図

これが抽出したデータをもとに作った共起ネットワーク図です。この図からは

  1. どの単語が近い関係にあるのか(単語同士の距離)
  2. 単語どうしの繋がり(単語を結ぶ線、太くて濃いほど強い繋がり)
  3. 単語の登場頻度(円が大きいほど頻出)

を読み取ることができます。比較的強く結びつきグループ化した単語が同じ色。名詞などを絞ってもっと簡略化したものになるとこうなる。

共起ネットワーク図_簡易版

「今」「夢」「笑う」「男」あたりが大きく出ているのはさっき見た通りです。

気の利いたコメントでも書きたかったんですが全然思い浮かばないので、個人的には「愛」が「知る」「信じる」に繋がっているのと「明日」が「進む」「待つ」に繋がっているのが好き、とだけ書いておきます。この図が何を意味しているのか色々考えてみてください。

【番外編】比べてみると……?

さてここまでボイメンの歌詞について論じてきたが比較対象がないと行き詰まりを感じるので、ここで後輩の祭nine.の歌詞とも比較してみる。

先ほどと同様に頻出語句150、頻出動詞30と共起ネットワーク図から考える。

祭_頻出語句150

(「ダッチョ☆OSHIRASU」だけで47回も「ダッチョ」が登場していることとオノマトペ、横文字が多いことにビビっている)

祭だと「名古屋」が減って「祭」が頻出ベスト3まで上がってきているうえに「アソレ」「ズンタカラッタ」「ハイ」など祭りをイメージした掛け声のオノマトペも多く、必然的にグループのコンセプトの違いを感じさせられる。

そして祭だと「未来」>「今」なのでここも意外。未来に希望を持ちたい気持ちがより強い世代の表れなのかもしれない……。

ただその一方で「夢」「男」など共通して頻出の単語もありフォーチュンの系譜を感じた。

祭_頻出動詞30

「脱ぐ」って何……?って思ったら「HADAKAN BOYS」か。「行く」ではなく「行ける」ところなんかも特徴になりそうだし、「結ぶ」「踊る」「咲く」あたりも祭独特。

祭_共起ネットワーク図

共起ネットワーク図はこんな感じです。

特徴としては「夢」の次に「行ける」「未来」が大きく、「今」が結構小さい。

「夢」と強い繋がりのある語句も「輝く」「捨てる」「後悔」「挑む」と違いが見えてくる。また「未来」に繋がる語句は一期生が「変わる」に対して「手」「伸ばす」「空」なので一から路線を作り上げた一期生、一期生が作った路線を受け継ぎ次世代として新しいものを作ろうとする祭の「未来」に対する価値観の違いが見えて面白いと思った。

総括

今までに述べてきたことをまとめると

  • 「ボイメンらしさ」を形成するワードは「GO」「行く」「笑う」「夢」「今」などポジティブなものが多い。グループ名や「名古屋」が頻出するがっつき感もグループらしさの形成に一役買っている
  • 「涙」「泣く」など一見ネガティブに思える単語もポジティブに作用している
  • 祭nine.と比較すると「夢」「男」など共通して頻出する語があり、「フォーチュンの系譜」が何か理解する糸口になる
  • 逆に「咲く」「踊る」「結ぶ」など祭にしか登場しない動詞があったり全体的に造語、オノマトペ、横文字が多かったり祭nine.オリジナルの個性も出てきている
  • BOYS AND MEN(一期生)は現在志向強め、祭nine.は未来志向強め

と考えられる。この分析結果が何を意味するのかは、より多角的に深く検討していく*3ことでさらに考察できると思う。今後も考察を続けていきたい。

*1:そのためインディーズ時代の一部の曲は計上されていない

*2:「君」「お前」「あなた」あたりの二人称に関してはバカなことにデータ抽出対象に入れ忘れました……申し訳ない……。

*3:他の事務所のグループと比較、年代別に比較など

BOYS AND MEN「Oh Yeah」は偶然に生まれたわけではない―ボイメンの「ガンバリズム」変遷

ようやく、と言うべきなのか。

今年10周年を迎えるBOYS AND MENが、アニバーサリー楽曲の第一弾として新シングル「Oh Yeah」を発表した。

そのうち、表題曲「Oh Yeah」が先日8月3日放送のラジオ「BOYS AND MEN 栄第七学園男組」でフルサイズ解禁された。

まず、ああ、今求めていたものだ。という気持ちと、率直に「かっこよかった」と思う気持ちが湧き出てきた。

新型コロナウイルスの影響を受けなかった芸能人はおそらく存在しないだろうが、その中でもボイメンのようにアニバーサリー年に該当するグループはより一層進退窮まる状態にあるだろう。そんな状態の中でも「俺たちは強く生きるから、みんなも一緒にこっちに来ないか」と歌い上げるのだ。

これは公式には「コロナ禍の中での熱い想い」「『絶対負けるな!』という心の叫びを歌ったメッセージソング」と紹介されているが、実際には、「コロナ禍だから」この曲が成立したわけではないと思っている。それは直接の理由ではなく、むしろ「beforeコロナ」の頃からずっとずっと積み重ねてきたものがあったからこそ、この曲のメッセージが上滑りする嘘くさいものにならず、まっすぐ過ぎるほどにまっすぐ届くのだろう。

しまった。また前置きが500文字近くになってしまった。

何はともあれ、以下に書き綴ることは時系列に沿って「こうだな」という一つの見方を提示するものなので、可能であれば時系列ごとに曲を聴きながら読んでいただけたら幸いである。

「アイだから!」「Voyager」に見られる萌芽

まず、ボイメンの初期にあたる2012年にリリースされた「アイだから!」、翌年2013年にリリースされた「Voyager」の話をしておこう。

一つ 気持ちがまだあるうちは

何度ダメでも諦めないこと

(中略)

理由なんていらないんだよ

信じたときに真実は生まれるから

(「アイだから!」より)

Voyage 負けないハート

Voyage 抱きしめていこう

(中略)

不安に押しつぶされそうでも

元気が出ないときも

ほら☆ほら 深く息を吸い込んで

(中略)

誰もみな戦って、傷ついて、涙するVoyager

ひとりじゃない 孤独じゃない 今から

Sail on! Keep on! Go on!

(「Voyager」より)

それぞれの楽曲から、私が一番言いたいことにかかわる部分だけを抜粋した。

初期のころから、「辛いこと、弱点があっても打ちのめされずに前を向き、諦めない」、そして「孤独にさせない(ために聴き手に呼びかける)」姿勢、言い換えるなら「ボイメンのガンバリズム」の基盤は曲の中に登場している。しかし、この段階では、音源化された曲を聴いてもその姿勢が今ほど内面化されているとは感じられないのだ。なぜなら、後々の曲と比べて作り手の「こういう人になってほしい」という願い、祈りがより強く感じられるからである。*1

多少意地が悪い喩えのような気もするが、アイドルのプロデューサーや楽曲製作者は人形遣い、アイドルは操り人形と喩えることができる。*2この喩えにのっとると、彼らは「まだ」人形遣いの思うままに動く人形「だった」のである。

ただしアイドルが普通の人形劇と異なるのは、その人形が自らの意思を持って動き出すことがあり、逆に人形遣いの方をコントロールすることさえあるという一点である。

そこにたどり着くポイントについては次の章で説明したい。

転換ポイント、「Cheer Up!」

続いて時期は飛んで2016年に発売されたミニアルバム「Cheer Up!」の話に移りたい。タイトル通り様々な形の「応援」が形となったこのミニアルバムは、後の「ボイメンらしさ」を決定づける転換ポイントだったと、私は考えている。

その理由は二つある。一つは、恋を応援する「チョコレートプリンス」、中日ドラゴンズを応援する「stand hard!~オレらの憧れ竜戦士~」を経て、「ボイメンなりの」応援スタンス、言い換えるなら「ボイメンのガンバリズム」が少しずつ「YAMATO☆Dancing」以降の形に近づいてきたから。もう一つは、それを経てこの辺りから、メンバーの歩みと歌詞の足並みが揃い始めてくるからである。先ほどの人形遣いと操り人形の喩えで言うならば、「人形が意思を持ち始めた」と言える。

その転換ポイントとなるアルバムの中でも特に、リード曲である「どんとこいやー!」に注目して書いていく。

Hello,Mr.緊張(あははん)
その特殊能力(ぴぴぴぴぴ)
お腹いたくなる
手も震えだす(ギャー!)
間尺に合わねぇ!
なぁ、せっかくなら
手を組もうぜ トゥーギャーザー!!!(フ―)

どんとこいやー!大舞台
どんとこいやー!マモノども
こちとらァ 何度も何度も
何度も何度も顔上げ やってきたんだから(ヤー)

(「どんとこいやー!」より)

Bメロ部分にはここまでの段階で作られた「ボイメンのガンバリズム」を構成する要素が含まれている。Bメロ部分には、「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」要素がある。そして、サビに入ると一転して「どんとこいやー!」と「大舞台」や「マモノども」に呼びかける、つまり「外側に対しては拳を振り上げて闘う」という新しい要素が追加される。*3

そしてこの新要素は、後々の「ボイメンらしさ」にも大きく影響することとなる。

拳を握り締める「YAMATO☆Dancing」~「炎・天下奪取」と、その裏の出来事

こうしてそれまでの様々な要素を受け継ぎ、メジャーデビューシングル「YAMATO☆Dancing」が生まれることとなった。メジャーデビュー楽曲はその後の対外的な路線にも大きく影響することが大半だが、ボイメンの場合は「どんとこいやー!」から大々的にアピールされるようになった「外側に対しては拳を振り上げて闘う」という鼻息の荒いものに決定したのである。

無論これは「BOYS AND MENのパブリックイメージを固めて土台を作る」という、一種の商業的な戦略だともいえるだろう。

「YAMATO☆Dancing」は音楽的にもコンセプト的にも「わかりやすさ」にこだわっている。サビから始まり、そのサビでタイトルを歌っている点、アップテンポでリズムに乗りやすい点など音楽的観点では色々な「わかりやすさ」がある。ではコンセプト的な「わかりやすさ」は何かというと、「どんとこいやー!」で表出するようになった「外側に対しては拳を振り上げて闘う」というポイントである。その結果、「炎・天下奪取」の頃まで、「ボイメンのガンバリズム」を形成する要素だったはずの「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」点は、シングル表題曲では陰に隠れることとなるのだ。

しかし、その2つの要素は消滅してしまったわけではない。一般層が手を伸ばすことが少ない(反面オタクにはよく届く)アルバム曲の中で、様々な形で育てられることとなった。

例えば「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を「ボイメンなりに」カバーした「ヤングマン~B.M.C.A.~」はその良い例である。

(BMCAに関しての所感は↓に書いてあるので良ければ箸休めに読んでほしい)

lettucekunchansan.hatenablog.com

このほかにも「まえのめりMinority」は「外側に対しては拳を振り上げて闘う」と「誰しも弱い部分、辛いことがある」の両立の良い例だし、「ガンバレ For My Girl」中心にアルバム「友ありて・・」オリジナル曲は「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」の二点を様々な視点から描いた佳作である。

そして「炎・天下奪取」でやや過剰なまでにデフォルメされた*4「外側に対しては拳を振り上げて闘う」姿勢をもって、この要素はいったんほぼ完成するのだ。

「頭の中のフィルム」登場の意味は「作り上げた路線の破壊」だけではない

そして時は流れて2019年。この年の1月に行われたナゴヤドーム公演を終えて一発目に登場したのが「頭の中のフィルム」である。メジャーデビューからカウントすると5枚目のシングルであるこの曲の最も大きな目的は「一度作り上げた路線の破壊」にあると思う。前述の通り「炎・天下奪取」でいったんそれまでの路線が完成してしまったため、その路線を一度壊してやる必要があったのだろう。

聴いただけですぐにそれまでの楽曲との違いがわかる。*5それは単に曲調やサウンドだけの問題ではなく、表題曲では一旦「外側に対しては拳を振り上げて闘う」という形の「ボイメンのガンバリズム」が姿を隠したということでもある。それは同年にリリースされた「ガッタンゴットンGO!」でも共通しており、「分かり合えないことも別離もあるけど、それでも人生は続く」という一種の諦念、折り合いをつける部分もあるように感じる。*6

この「分かり合えないことも別離もあるけど、それでも人生は続く」点は、実は既に「友ありて・・」(楽曲)である程度描写されていた。しかしこの詞は最初からボイメンが歌うことを想定して作られた、というわけではないため、うまくこの要素を内在化できたのが「頭の中のフィルム」以降の動きなのだろう。

(そこらへんを踏まえたシングル「ガッタンゴットンGO!」ざっくりレビューもあるので箸休めに↓)

lettucekunchansan.hatenablog.com

全体を通して、2019年のBOYS AND MENの楽曲にはそれまでのような鼻息の荒さはない。裏を返せば、最年長が30代、最年少も25歳に突入した年というのもあり、「大人っぽさ」が要求されてきたともいえる。*7

この「諦念」「折り合いをつける」という一見「諦めなければ夢は必ず叶う」というボイメンの理念とは正反対の概念こそが、かえって「Oh Yeah」で打ち出された新しい「ボイメンのガンバリズム」をブラッシュアップすることとなる。

ボイステ「諦めが悪い男たち」を経、そして「Oh Yeah」へ

 そしてここでようやく「Oh Yeah」の話に至る。お待たせしました。でもまだボイステの話ちょっとだけあるから最後まで付き合ってね。

舞台「ボイメンステージ『諦めが悪い男たち』」は、赤羽一真という主人公を通してボイメン(あるいはフォーチュン)の掲げる理念を丁寧に描いたものであった。そこでは、勢い重視の鼻息の荒さでもなく、「いろいろあるけど今は頑張るしかないよね」というような消極的な踏ん張りでもない「諦めの悪さ」が存在していた。今までの経験からブラッシュアップされていった、「転んでもただでは起きない姿勢」「そしてそれを自らの行動で周囲に伝えていく」諦めの悪さである。これは、「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」「外側に対しては拳を振り上げて闘う」この三つのどれが欠けても成立することはなかっただろうし、どんなタイプの「諦めの悪さ」より何倍も強固なものである。

(ボイステの所感は↓に。)

lettucekunchansan.hatenablog.com

そして、ここまでの様々な経験を踏まえた「Oh Yeah」でついに、BOYS AND MENは新たなステージに立つことができた。前述の通り「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」「外側に対しては拳を振り上げて闘う」の三要素をうまく融合、「ボイメンのガンバリズム」をもうひとつ上のレベルへ昇華させることに成功したのだ。

もはや彼らは人形遣いに操られているだけではない。むしろ人形そのものが人形遣い、挙句の果てには人形劇の観客すら巻き込み物語を作るようになった、そう感じられる。

絶対負けるな!こんな世の中に

明るい未来を信じ立ち上がれ!

頑張る気持ちは無くしたわけじゃない

過去の自分を捨てて走り出せ!

(中略)

何かを変えたいなら 今の自分を変えてゆけ

譲れないもの胸に抱きしめ

明日への希望の光 その手でつかみ取れ!

(「Oh Yeah」より。正確な歌詞表記が不明のため暫定)

 (ぶっちゃけ、ここを聴けばすべてわかることなのでもう私の長話いらないかもしれない……。まあ書くんですけど……。)

 ビーイング系や90年代のアニソンを彷彿とさせるまっすぐなサウンドに、老若男女誰にでも伝わる強固なメッセージ。少年ジャンプのようなまっすぐさ、ひたむきさ、熱量をここまでまっすぐに表現しても上滑りしない、嘘臭くならないのは、今が「afterコロナ」「withコロナ」の社会だからではなく、彼らが今までたくさん積み上げてきたものが存在しているからだ。ひとりのオタクの主観なのは重々承知だが、どうしてもこれだけは断言させてほしい。

むすびに変えて

今回の記事を通して、BOYS AND MENのシングル表題曲に流れる「ガンバリズム」的要素とその変遷の経緯を(おおまかにではあるが)示せたと思う。この話は新曲の話が影も形もなかった6月上旬頃から延々と考えていた話ではあったので、「Oh Yeah」でようやくパズルの最後のピースが嵌ったような感覚がある。

BOYS AND MENは結成からの10年を通して、他者にまっすぐ過ぎるほどまっすぐな言葉を届けられるグループになった。「新しい生活様式」の中であっても「転んでもただでは起きない」タイプの適応能力もある。

そんなグループだから、これからも高みを目指して一緒に世界を旅していけたらと思う。何があっても負ける気がしない。

MV公開と正式なCD発売日が来たらまた所感を書きます。

*1:このころは共作や補作詞含めて全曲YUMIKO先生が作詞に携わっていたからかもしれない

*2:厳密にはボイメンはアイドルではないとしているが、便宜上この表記を使う

*3:「バリバリ☆ヤンキーロード」に代表されるYankee5の要素を経てのものともいえる。これ以降の「ヤンファイソーレ」「シャウッティーナ」なども「外側に対しては拳を振り上げて闘う」要素は少なかったが、「花道ゴージャス」でこの要素が強くなる

*4:ヒャダイン氏の遊び心によるところが多い

*5:リリイベに足を運んでいた人なら、曲終わりの一瞬静まり返ったのちにワッと拍手が起こる、あの今までとは少し違う感じを思い出していただきたい

*6:一応言っておくと、この要素と2019年に起きた田中俊介さんの活動休止、脱退は直接は関係ないと考えている

*7:その流れは「夢Chu☆毒」「粋やがれ」といったc/wで異なる形として可視化されることとなるが

「お約束」へのアンチテーゼを超えて。「GARO -VERSUS ROAD-」から感じる「生き方」への問い。

GARO -VERSUS ROAD-」がとうとう最終回を迎えてしまいました。

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もともと牙狼シリーズを追いかけていたわけではなく、勇翔くんが出演していたことを機に視聴することを決めたのですが、(自粛期間で大きな楽しみが減ってしまった中)毎週楽しみにしていた数少ないコンテンツでもあります。以前も別の記事で書いたのですが、こうして一つの好きなジャンルからどんどん自分の興味、関心が拡がっていくのは楽しいですね。
ひとまず、激しいアクションもあり難しい役どころでもある天羽を演じた勇翔くんにいちファンとして拍手を送りたいです。お疲れさまでした!

その他のキャストの皆さん、スタッフの皆さんもお疲れさまでした!

 

 

それぞれの「生き方」を問う

この作中において、主要キャラはみんな「自分だけの生き方」を求め、悩み、闘っていたように感じる。

たとえば、主人公・空遠は物語開始時点で既に「誰かを守るため」の行動が多く、争いを好まないお人好しな姿はまるで模範的なヒーローのようであった。しかし、物語中盤で「守るべき、守りたい対象」であった幼馴染の星合を失うことで、本当にこの生き方が正しいのかを自問自答し苦しむ。

天羽は、ライバルであり相棒でもある奏風と闘争し、ぶつかり合うことで互いの存在価値を確認していたように思える。その気になれば裏社会の人間とも戦うその姿は、自分の力を証明することが生き方であると信じているようだった。

貴音は、過去の多くのトラウマから形成された、猟奇的ですらある本当の自分を封じ込める。そして、「香月貴音」として人から愛され、尊敬されるようなペルソナを深く被って生きようとする。

南雲は、もともと水瓶たちに言われるがまま動画を投稿し人気者になっていったが、次第に、「自分の力だけで人気、名声を勝ち取りたい」と思うようになっていく。そしてその思いは、水瓶が南雲の目の前から消えて以降加速していく。

日向は指名手配犯であるが逃走し、連日ニュースになるがそんなことはお構いなしだった。誰の支配も受けず自由に暴れ回ることのできる環境を求めていたのかもしれない。

この中で誰の生き方が一番「正しい」のか、決めることは可能だろうか。

確かに、日向は犯罪の疑いもあるし、貴音も人を殺めた過去がある。しかし、「誰の支配も受けずに生きていきたい」「人に愛され尊敬されるためにペルソナを被る」こうした生き方を通して彼らを見たとき、すぐに真っ向から「正しくない」と言い切れるだろうか。私はすぐには決められない。

しかし、彼らは生きるための選択肢を選び続ける事、すなわち自分自身の尊厳を最後まで絶対に放棄しなかった。私は、その「生き方を選ぶ」ことに、この作品が最も伝えたかったテーマがあると考えている。

私たちは様々な「生き方」を選んで生きていくことができる。しかし、一度決めたそれが一生続くものとは限らない。空遠のように、何かのきっかけで本当に正しいのか?と迷うこともあるだろう。しかし、無限にある選択肢の中から自分が「正しい」と思ったことを選び続けていくことに、大きな価値があるのではないだろうかと気づかされた。

第11話、決勝戦が始まる直前、それまで決められた言葉しか発してこなかった朱伽が、まるで空遠たちに感化されたかのように、「生きるために戦え」と口にする。

それは空遠たちへのメッセージであるだけではなく、この戦いを目撃している私たち視聴者にも向けられた言葉ではないだろうか。そう感じている。

 

空遠世那と天羽涼介

この作品について触れるうえで避けて通れないのは、やはりこの二人の関係性だと思う。思想の上でも実際のバトルとしても、最後の最後まで相反し闘い続けた二人なのだから。

先ほども言及したが、空遠は誰かを守るために自分の力を行使するものの、争いを好まない性格で悪く言えばお人好しだった。これに対して天羽は、目の前にいる相手がヤクザだろうがホラーだろうが果敢に戦い、そうすることによって自らの力を証明しているようだった。

また、空遠には星合、天羽には奏風という信用できる親友がいたが、それぞれの向き合い方も、前者は「守るべき存在で、傷つけたくない」という気持ちが強く、後者は「戦いあってはじめて互いの価値を分かり合える」という気持ちが強く表れていた。

三回戦で星合が自死を選んだ後に悲しみに暮れ、自分自身のあり方を見失いそうになった一方で、四回戦でアンデッドと化した奏風に対して、本気の闘争ができることを「俺たちの戦いをしよう」と喜びながらも「どんなに親友でも、互いの葬式には出られない」と自らの手で葬ったところにも、そうした価値観の違いが表出しているだろう。

しかしこの二人はただ正反対の考えを持っているわけではない。互いの素性を理解していくうちに、関係も変わっていく。

四回戦にて、ほかの参加者が生き残るためにバトルを繰り広げる中、それをただ眺めたたずんでいるだけの空遠。その前の三回戦で星合を失い、ずっと今までの自分のあり方が正しかったのかを自問している最中に、天羽は戦うことを促し叱咤激励する。

ここはもう、戦うべき敵であるとかそういった形式的なものを超えているわけで、これができる関係性に熱い思いが湧き上がるのだ。

そして、天羽にとっては目の前の現実に真摯に向き合うことが「生きる事」であり、そのための手段が闘争だったのではないだろうか。したがって、それを放棄しようとしていた空遠は彼にとって生きる意味がないかのようにも思えたのだろう。

そして11話。決勝戦で最後に空遠と天羽が生き残り、天羽は「最後の相手がお前でよかった」と空遠に言う。決して友達ではないが、互いの戦いの実力を認め合い、「大切な親友を失った」という共通項から誰より深い部分で理解し合うことができていたからこそ、出てきた言葉なのではないだろうか。

こうした関係性は、最近だと特撮でこそ味わえるものになってきているのではないだろうか。*1

 

最後に選んだ道

第8話、四回戦にてアンデッド化した日向にとどめを刺すために空遠が魔剣を使おうとすると、剣は黒いまがまがしいオーラではなく黄金の光を放った。間違いなく、彼にガロ*2の素質があることの証明である。それに対してこのデスゲームを生み出した張本人である葉霧とアザミは驚いた様子だったが、空遠はこう言い放つ。

「望む力も、ヒーローも、牙狼の称号もいらない!」と。

私はこのシーンを見たとき、これは既存のシリーズや特撮の「お約束」へのアンチテーゼなのだと感じた。

しかし最終話を見て、この展開にはそれだけではない意図があったのだと気づいた。

最終話。天羽の死によって湧き上がる空遠の怒りから生まれた陰我で、とうとう葉霧とアザミが作ろうとしていた鎧・「ベイル」が完成してしまう。葉霧はこのベイルを使って最強の存在になろうとするが、「ガロなんていない」と真っ向から否定する空遠のもとに、ガロの剣が空から降ってくるのだ。

その剣を引き抜き一度はガロ=牙狼として戦い、葉霧を破り「自分の正義を振りかざし、守ったのは自分だけ」と言うものの、空遠は誰も殺さない、牙狼として、みんなを守るヒーローとしてではなく、死んでいった人々の想いを背負いながら自分の人生を生きるという。

現実世界へと帰還した空遠は、剣に背を向けて、たった一人で雪山を下山していく。新雪を踏みしめて歩くその姿は、誰かに与えられたものではない自分の人生を生きていく彼のこれからのメタファーのようにも思えた。

このシーンを、ひいては「GARO -VERSUS ROAD-」という作品そのものを、既存のシリーズや特撮の「お約束」へのアンチテーゼだと簡単に括りたくはなかった。

 

結びに変えて

GARO -VERSUS ROAD-」を製作するにあたって、製作側でも色々な思惑があったのだと思います。この作品自体に関しても私のように「行間を読む面白さがある」と感じた人や、「肝心なところを詰めない粗い*3作品」と感じた人もいるでしょう。*4

しかし、「生き方」への問いという作品の大きなテーマにおいて、目を見張るものがあると感じました。奇しくもこのご時世に放送されたということを考慮しても、作品自体のテーマ性が鋭いと感じました。そして、それを「特撮ヒーローもの」「牙狼シリーズ」というある種の制約、ボーダーラインをある程度守りつつ乗り越えようとしている描写で切り込むことにとても驚きました。

「お約束」を超えた先で、こうしたコンテンツが生まれていく面白さを、これからも味わえて行けたらと願うばかりです。

*1:比較的新しめの作品だと「仮面ライダー鎧武」の葛葉紘汰と駆紋戒斗の関係性などにも近いものがある

*2:この作中では「ガロ」とカタカナ表記で通してある

*3:ネットスラング的に言えば「ガバガバ」

*4:しかし私自身もこの作品の細かな箇所の説明の放棄には手を焼いた

二次元と三次元が互いにコンテンツを拡張させる。アイドルマスターミリオンライブ!のライブパフォーマンスへの興奮。

「グリマスの物語」としての1st~4thの配信が終わったので覚書として。

 

まず、私はミリシタから本格的にミリオンライブ!を追い始めたPなので、グリマスのことは後追いでストーリーを読んだり少しだけ触ったりした知識しかないことだけ先に書いておきます。そのため当時のミリオン界隈の空気についての言及はできません。

 

前に、初めて2.5作品に触れての感想を書いたんですけど、アイマス、特にミリオンライブ!のライブって○○ミュ、○○ステの類とはまた違う意味で2.5次元だよなあと感じました。

lettucekunchansan.hatenablog.com

これもテニミュをあの時見られたから得られた視点。サンキューテニミュ

これ以上つらつらと前置きを書くつもりはないので、本題に入りましょう。

 

「てづくりのぶどーかん」へ

私は、ミリオンライブ!を知ってまず、二次元の存在であるアイドルマスターのアイドルが三次元の具体的な目標、「武道館」を目指していることに驚いた記憶がある。

武道館を目指し、最初は本当に小さな小屋のようなステージからアイドル活動をスタートする。これはグリマスの話だが、三次元、つまり現実世界で行われた1stライブの会場も、武道館のキャパには程遠い中野サンプラザだった。

このスタート時点で、既に二次元と三次元が繋がっているのだ。そこに、アイマスの他のシリーズとミリオンライブ!の決定的な違いがあるのかなと感じている。だからこそ、「2.5次元」っぽさを感じたともいえるだろう。

そして、声優とキャラの二人三脚で目指す武道館までへの過程が、とても綺麗なのだ。

1stで初めて単独で大舞台に立つ。2ndでは規模を広げ、楽曲数を増やして固定ユニットにも挑戦。3rdでは初めて全国を回る。「会いに来てもらう」から「会いに行く」へ。ここで初めて全員が1度はパフォーマンスをする。そして、満を持して4thでゲーム内でも描かれた「天体公演」として武道館のステージへ。3日間で37人全員が武道館に立ったのだ。*1

これは、ある意味完全な三次元だと絶対にできないことだよなあと思う。二次元を基盤とする2.5次元だからこそ、そこまでの道を物語で「舗装」することができた。三次元のアイドルが武道館を目指す道筋は、決められた物語が存在しない分もっと凸凹で曲がり道や遠回りも多い。*2

武道館を目指すアイドルは数多くいても、そこに本当にたどり着くことができるアイドルは限られている。そこにたどり着くことなく引退や解散を余儀なくされるアイドルも多い。そこに、ずっと武道館を目指してきた彼女たちが皆で立つ意味を4thでは噛み締めた。私のようなPですら色々な感情がこみ上げているのだ、リアタイでグリマス、ミリオンライブ!の流れをずっと追いかけてきたPにとってはひとしおのものだっただろうと思う。4thは、ずっとミリオンライブ!を好きでい続けてきたPへのご褒美、プレゼントのようなものだったのかもしれない。

 

「声優」と「キャラ」の二人三脚だからこそ

私はミリオンだと野々原茜高坂海美の担当で、ミリオンに出演する声優さんだと上田麗奈さんが好きなのだが、今回1st~4thまで連続で観て、担当と推し以外に特に目がいったキャラ、声優さんがたくさんいる。

未来と山崎はるかさんが春香、中村繪里子さんの模倣ではない自分なりの「ミリオンライブ!のセンター」像を掴んでいく過程。「センター」「リーダー」を背負わない3rd大阪公演の未来飛行は、それまでと何かが違うように感じたのだ。それを経たうえでの幕張2日目の未来飛行に、物凄く頼もしさを抱いた。

静香のPrecious Grain。4thは今までとは違って優しく、温かく聞こえた。CD音源や今までのライブでの歌い方と違って、切羽詰まったような感じや周りを圧倒するような空気は、いい意味で存在していなかった。これは、田所あずささんが武道館にたどり着いた静香と向き合った結果、生まれたのだという。

大関英里さん。1stの時はこちらにも緊張しているのが伝わるぐらいにガチガチだった。大丈夫かな?と心配になった。だけど、回を重ねるたびにどんどん表情や動き方に自信があふれてくるのがわかり、現地で見ることができた6thでの堂々とした姿に至るまでにこんなことが……!と気づきを得ることができた。

雨宮天さんと志保は、ここぞという時*3に出番が来て、一気に空気を自分たちのものに作り変えてしまう。パフォーマンスの説得力が半端じゃないのだ。

紗代子と駒形友梨さんのvivid color。元々大好きな歌だったが、ライブで駒形さんが歌うたびに紗代子の目指すアイドル像の輪郭がどんどんはっきりするような気がした。

他にもパフォーマンスやMCでたくさん目を惹かれたシーンがあるが、これ以上書くとそれだけで独立した一つの記事ができそうなので泣く泣く割愛。

つまり何が言いたいかと言うと、声優さんたちのパフォーマンスが、ミリオンライブ!という物語の文脈を拡張していっているのだ。

原作の文脈を回収するだけではなく、テニミュにはテニミュの文脈が存在していた。

テニミュ初見オタクが #おうちでテニミュ で百聞は一見に如かずを実感した」新緑ノスタルジア より引用

前置きで挙げたテニミュの感想文には上記の通り書いたのだが、ミリオンライブ!に関してはそれだけではなく、ゲーム(原作)やゲッサン(コミカライズ)で語られる文脈とライブで声優さんが付与していく文脈が互いの文脈を拡張させ合うイメージがある。

 

オリメン以外の歌唱、765カバーの意味

ミリオンライブ!のライブでは、それぞれ個人やユニットの持ち歌だけではなくオリジナルメンバーとして参加していない曲や765ASの曲を歌うことがある。

たしかに、オリジナルメンバーでの歌唱というのは大きな意味があるものだと思う。特に、固定ユニットとして物語が与えられたLTF曲は。私も、オリジナルメンバーが全員揃ったうえでのShooting Starsが聴ける日を心待ちにしている。*4

しかし、オリジナルメンバー以外が歌うこと、持ち歌ではない歌を歌うことによって、新たな文脈や可能性の発見にも繋がるのではないか。たとえば、4th1日目のEmargence Vibe。莉緒姉は自らのセクシーさをアピールすることの多いアイドルだが、自分の持ち歌ではこの曲のようなダイレクトで攻撃的なセクシーさを表現することはなかった。どちらかと言うと、直接的なところよりかは持ち歌の歌詞に含まれる言葉の端々から生まれる「大人だなあ」というオーラから生まれるセクシーさを感じていた。しかし、この曲の披露があって、「こういうのもアリだな!」と感じた。ライブでの「生」のパフォーマンスが、二次元のキャラクターの解釈の幅を広げたと言える。

また765カバーに関して言えば、765曲は持ち歌として固定されていない曲が多いからこそ、当てはめ方の自由度が高く、そこから解釈の幅も広げやすいだろうと感じている。特に3rd名古屋公演での99 Nightsに美也が参加したことが個人的に衝撃だった。

 

二次元と三次元が共鳴する

まず、↓の星野源さんがアイマスについて語っている記事を読んでほしい。

忙しかったら下に一部分を引用したのでそこだけでも読んでほしい。

miyearnzzlabo.com

あと僕昔から二次元とか妄想とか虚構とか物語とかっていうものがすごく大好きで。で、『アイドルマスター』は特に、「みんなで作っている」っていう感じがするのがすごい好きなところで。お客さんも一緒に作っている。で、中の声優さんもそのキャラクターがもっと広がるように、とか。で、その中の声優さん自体のキャラクターも、キャラクターの中にどんどん入っていったりとか。

あと、ファンの人たちが作った二次創作とかのものがキャラクターにまた反映されていったりとか。それで流行が生まれたりとかっていう、だからみんなで嘘を作っている感じが……で、それが嘘が嘘じゃなくなっていく瞬間っていうのを何度も見れるっていうのが、僕は単純に感動してしまうという。

星野源アイドルマスター』が好きな理由を語る より引用)

 

 上に挙げたこの「みんなで嘘を作っている感じ」「それが嘘が嘘じゃなくなっていく瞬間」を一番感じられるのが、アイマスの中でもミリオンライブ!なんじゃないかな?と思う。二次元(ゲームやコミカライズ)と三次元(声優さんとキャラが二人三脚で臨むライブ)が互いに影響を与え合って、時には与えられたストーリーを生身の人間が簡単に凌駕してしまう。そして、ライブが終わった後に声優さんの成長や変化を感じるだけではなく、自分の中のキャラクターへの印象まで変わっている。

それが本当に面白いと思うし、だからミリオンライブ!はやめられないなあと感じた。

 

結びに変えて

このブログもTwitterも専らボイメンかハロプロの話ばっかりで最近アイマス要素どこ行った?って感じになりつつあるんですけど、こういうのがあるからやっぱりミリオンライブ!が大好きだなあと思います。その物語で感じたことを少しでも表現するためにも、夏ごろにはまたニコニコに動画投稿再開できたらと思って準備している最中です。

そして、今週の土日(6/27,28)には新たに「ミリシタの物語」が始まる5thライブの配信もあります。

live.nicovideo.jp

live.nicovideo.jp

白石紬と南早紀さん、桜守歌織香里有佐さんが加わり、グリマスとはまた違った時間軸での物語が動き出します。まだまだミリオンライブ!の世界、物語、それが拡張されていく瞬間を楽しみたいです。

わかちこPの帰りを待ちながら。

*1:当時種田梨沙さんは病気で休養中のためステージに立ってはいなかったが、あの場にたしかに田中琴葉は「いた」

*2:私はその両方が好きなので、どちらが良い悪いと比較して論じるつもりはない

*3:具体的には、3rd幕張1日目のアイルの直後とか

*4:だからその可能性が高かっただろう7thの中止はとても残念だった

#ハロプロソロフェス の考えた分を記録する(アンジュルム)

先日唐突に #ハロプロソロフェス なる企画が発表された。

www.helloproject.com

ざっくり説明すると、これはCSのテレ朝チャンネルで放送される特番の企画で、視聴者から募集したリクエストを参考にメンバーがソロで歌う曲を選んで歌唱、メンバーが投票し、優勝者にはテレ朝チャンネルでの冠番組を持つ権利が得られるという。

これ、メンバーが真剣に曲目を選ぶのはもちろんそうだと思うけど、それと同じぐらいオタクも真剣に選んでるの良いですよね。タグで検索して色んなオタクのリクエストを見てるんですが、メンバーに流れる文脈で選ぶ人、似合う歌詞で選ぶ人、声質のマッチ具合から選ぶ人……オタク同士で集まろうものならこの話だけで朝までもつんじゃなかろうか。

 

そういうわけでわたしも自分なりに考えたので、アンジュルム(はち、はーちゃんこと太田遥香ちゃんは残念ながら活動休止中なので不参加だが)のリクエストをまとめておこうと思う。わたしのTwitterは呟きの頻度が高いのでまとめないとすぐ流れていきそうなので……。

 

竹内朱莉

 「奇跡の香りダンス。」って元のあややの歌い方がめちゃくちゃねっとりしてるじゃないですか。それこそ手元に歌詞がないとなんて言ってるか聞き取れない箇所があるぐらい。タケの歌唱力ならあれを再現しつつただの物真似にせず自分の色を出して歌えそうだと思うのでこの歌を。かっこかわいい雰囲気も今のタケに合うと思います。何より「YOU ARE MY ANGEL」が聴きたくて選んだところはある。否定しない。

 

川村文乃

 かむちゃん、確かにアニメ声的なかわいい路線だし十人十色コンの衣装みたいに魔法少女的キュートさをやらせたらアンジュルム一だと思うんですよ。でも、手足長くてすらっとしてるし、意外と大人っぽいところもあると思う。かむちゃんにメロン曲歌ってほしい!ってのは前々から思ってたけど、メロンのかわいいのと切ないのとセクシーなのとを比べたとき、一番合うのが切ない大人曲かなと思って。ちなみに同じメロンだと「かわいい彼」や「もう 待てませ~ん!」とも迷った。

 

佐々木莉佳子

 りかこはオラついたパフォーマンスとかでイケメン!って言われがちだけど、わたしは割とそういう路線と別の意味でパッションを爆裂させてるりかこが好きなんだな~と常々思います。よくブログとかでも「太陽になりたい!」と言っている彼女に私的ハロプロ「太陽」曲を。次点は「ヒロインになろうか!」。

 

上國料萌衣

 かみこ、卒業ラッシュでどんどんスキルメンが抜けていくアンジュルムにとってのキーマンだと思うんです。高音がどんどんうまくなっていく。かみこの高音をこの曲で存分に発揮してほしいと思い選びました。あと、「きみが淋しい時にだけ 思い出すような僕ならいらない」ってかみこに歌われたくない?

 

笠原桃奈

 声質の中~低音が向いてる感じと、本人の聡明なキャラ、大人びたルックスと見たときに、明るさ100%じゃないちょっと辛気臭い(褒め言葉)メロディが似合うと思って。プラチナ期とか後期℃-uteとか。この「ちょっと」ってのが個人的肝で、メロディは辛気臭いし歌詞も明るさ100じゃないけどたしかに希望を見出そうとしてるところなんかが桃奈に合うんじゃないんでしょうか。そういうところ桃奈って1号ライダー適正あると思わない?(特撮脳)

 

船木結

 「21時までのシンデレラ」とかもいいと思ったけど過去のイベントで歌ってたので。この曲意外とカバー率低いよね。卒業延期を素直に喜んでいいのか、だからと言って物凄く落ち込んでいるわけでもない複雑な気持ちではあるんですが、せめて卒業までにパワフルなパフォーマンスのふなちゃんをできるだけたくさん目に焼き付けておきたいなあと思います。こんな状況でもありますし……。この曲で歌われるまっすぐな野心とふなちゃんの卒業後の希望を重ね合わせてしまうので、その野心に焼かれたいという気持ちも込めて。

 

・伊勢鈴蘭

 れらたん、パフォーマンスの伸びの目覚ましさと#れらぴ系女子 と定義されつつあるキャラ、それとふなちゃんとのプロレス芸と色々注目されてますけど、本当のところまだまだどんなパフォーマンスが一番似合うのかは未知数ですよね。今のうちに色々と挑戦してほしいけど、本人が今持っているアンニュイで大人びた空気(困り眉とか顔立ちの影響かな?)とピュアな少女らしさをうまく融合できるのはこの曲だろうと思ってこの曲に。あとれらたんが纏う空気が秋っぽいので。(本人は冬生まれなのに……)

 

・橋迫鈴

 鈴ちゃんって去年ハロプロに加入したメンツの中でも特に可愛い可愛いって愛でたくなる子なんですよね。どれだけの伸びしろがあるのかはまだ本人にもわからないところだと思うけど、今しか味わえない魅力みたいなのも、確実にあると思うので。考えてる間にひなフェスソロの「ハピネス~幸福歓迎!~」がめちゃくちゃかわいかったのも思い出した。

 

リクエストの時に140文字で書ききれなかったことも書いちゃったんですがざっとこんな感じでリクエストしました。採用されたら嬉しいけど、採用されなくても真剣に考えた時間が楽しかったのは忘れたくないなと思ったのでここに残しておきます。

テニミュ初見オタクが #おうちでテニミュ で百聞は一見に如かずを実感した

猫も杓子も○○ミュ、○○ステのこの時代、オタクとして生を受けて久しい私はそういった2.5次元作品を通ってこないで今までを過ごしてきた。しかし今日、流れ流れてとうとうテニミュという未開の地に足を踏み入れてしまったのだ。

 

もともとTwitterのタイムラインで話題が何度か流れてきていたのと、ニコニコの空耳動画もいくつか見たことがあるので、存在は知っていた。

そして、推しである小林豊さんもテニミュへの出演経験があることは知っているので、どういうものなのか知りたいという気持ちもあった。

しかし、私の「なんでも完璧に理解したい」気質が、今の今まで邪魔をしてしまっていたように思える。なんせ17年も歴史のあるコンテンツで、代替わりするキャストの数も膨大だ。その歴史の前に、足がすくんでいた。だから、と言うと言い訳じみてしまうかもしれないが、推しが出ているテニミュも今まで見ることができないままでいた。

 

だが、迷いを捨てて飛び込んでみたら、物凄い景色が広がっていたのだ。

原作の文脈を回収するだけではなく、テニミュにはテニミュの文脈が存在していた。

ミュージカルにおいてたびたび挿入される歌や踊りは、そこにいる登場人物たちの感情の発露である、と私は受け止めている。そこに照明やセットなどの演出も手伝い、原作漫画と少し形は違うが、たしかにそこに「いる」人間の感情として捉えられた気がした。地面を割るような深く揺れる歌声や、跳ねるようなステップはその表れだろう。

私が一番それを感じたのは、後編終盤に幸村のテニスで五感を奪われたリョーマが暗闇の中でひとり、今までの苦しかった経験を思い出しながらも、最後には「テニスは楽しいもの」と気づき、天衣無縫の極みへとうとうたどり着いたシーンだ。

暗転。独唱。スポットライト。そのすべてが苦しい気持ちを増幅させている。画面越しでも鳥肌が立つほどだったから、当日会場で見ていた人には尚更感情が伝わっていたことだろう。

そして、テニスは楽しいものだと思いだした瞬間、パッと舞台全体に光が差すのだ。カタルシスの描写がうますぎる。

漫画的表現と演劇的、ミュージカル的な表現。それぞれが違う意味で美しく素晴らしいものだと気づかされた。

 

また、「キャラクターと演者の二人三脚」から生まれる物語があることも改めて知った。それは、私がアイドルマスターシリーズで知った「声優ライブ」のそれとはまた違ったものであった。

テニミュは数年ごとにキャストが入れ替わり、ストーリーにも明確なエンディングがある。つまり始めから演じられる時間、応援できる時間に限りがあることを皆がわかっているのだ。私はハロプロ筆頭に女性アイドルも応援しているから、応援することに永遠はなく、いつかタイムリミットが来てしまうことは体感していた。

しかし、テニミュはそれ以上にこちらに「タイムリミット」がのしかかってきた気がした。物語上のキャラクターたちが体験する「卒業」を、ついつい演者たちのタイムリミットとも重ねてしまう。キャラクターも、演者も、これから次の道に進んでいくのだ。その未来を想像してしまう。

しかし、あくまで私は初見の人間である。何日も通った人や何年も応援して何度も「卒業」を見送ってきた人に比べたら、感じている気持ちの大きさは比べようがないほどに大きなはずだろう。私はパフォーマンスとビジュアルの精巧さに圧倒されて、せいぜい最終盤の卒業シーンでひしひしと感じるだけだった。

 

ビジュアルの話にもふれておきたい。以前何かのテレビ番組で2.5次元ミュージカルが紹介されていた時に、「キャストを選ぶときに顔立ちだけではなく骨格も見ている」というような旨を聞いたことがあった。そして、幕が上がった瞬間、即座にその通りだと理解した。感覚的なものなのでうまく説明できないが、みんな「まんま」なのだ。メイクや髪型で合わせにいっているだけではこんな感覚になることはなかっただろう。

 

私は今日、恐れずに新しいものに飛び込む勇気を覚え、「百聞は一見に如かず」を実感した。オタクを続けていると、多分これからもこうした機会に遭遇するだろう。だから、今日テニミュに足を踏み入れたことを、こうして記録して覚えておきたいと思う。

また、テニミュはおろか2.5次元そのものがさっぱりわからなかった私がテニミュを少しだけでも理解し、面白いものだと感じられたのは、先に今いる自ジャンルや推しに出会えていたからだろう。改めて、オタクをするのにはタイミングが大事だと思い、今までの自ジャンルと推しに敬意を表したくなった。

 

 

ほな、推しが出てるテニミュ、買わせていただきます、、、、、、

(小林さんが演じる観月はじめさん、妖艶マシマシですね)

 

 この機会が与えられたことに感謝します、ありがとう!