新緑ノスタルジア

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BOYS AND MEN「Oh Yeah」は偶然に生まれたわけではない―ボイメンの「ガンバリズム」変遷

ようやく、と言うべきなのか。

今年10周年を迎えるBOYS AND MENが、アニバーサリー楽曲の第一弾として新シングル「Oh Yeah」を発表した。

そのうち、表題曲「Oh Yeah」が先日8月3日放送のラジオ「BOYS AND MEN 栄第七学園男組」でフルサイズ解禁された。

まず、ああ、今求めていたものだ。という気持ちと、率直に「かっこよかった」と思う気持ちが湧き出てきた。

新型コロナウイルスの影響を受けなかった芸能人はおそらく存在しないだろうが、その中でもボイメンのようにアニバーサリー年に該当するグループはより一層進退窮まる状態にあるだろう。そんな状態の中でも「俺たちは強く生きるから、みんなも一緒にこっちに来ないか」と歌い上げるのだ。

これは公式には「コロナ禍の中での熱い想い」「『絶対負けるな!』という心の叫びを歌ったメッセージソング」と紹介されているが、実際には、「コロナ禍だから」この曲が成立したわけではないと思っている。それは直接の理由ではなく、むしろ「beforeコロナ」の頃からずっとずっと積み重ねてきたものがあったからこそ、この曲のメッセージが上滑りする嘘くさいものにならず、まっすぐ過ぎるほどにまっすぐ届くのだろう。

しまった。また前置きが500文字近くになってしまった。

何はともあれ、以下に書き綴ることは時系列に沿って「こうだな」という一つの見方を提示するものなので、可能であれば時系列ごとに曲を聴きながら読んでいただけたら幸いである。

「アイだから!」「Voyager」に見られる萌芽

まず、ボイメンの初期にあたる2012年にリリースされた「アイだから!」、翌年2013年にリリースされた「Voyager」の話をしておこう。

一つ 気持ちがまだあるうちは

何度ダメでも諦めないこと

(中略)

理由なんていらないんだよ

信じたときに真実は生まれるから

(「アイだから!」より)

Voyage 負けないハート

Voyage 抱きしめていこう

(中略)

不安に押しつぶされそうでも

元気が出ないときも

ほら☆ほら 深く息を吸い込んで

(中略)

誰もみな戦って、傷ついて、涙するVoyager

ひとりじゃない 孤独じゃない 今から

Sail on! Keep on! Go on!

(「Voyager」より)

それぞれの楽曲から、私が一番言いたいことにかかわる部分だけを抜粋した。

初期のころから、「辛いこと、弱点があっても打ちのめされずに前を向き、諦めない」、そして「孤独にさせない(ために聴き手に呼びかける)」姿勢、言い換えるなら「ボイメンのガンバリズム」の基盤は曲の中に登場している。しかし、この段階では、音源化された曲を聴いてもその姿勢が今ほど内面化されているとは感じられないのだ。なぜなら、後々の曲と比べて作り手の「こういう人になってほしい」という願い、祈りがより強く感じられるからである。*1

多少意地が悪い喩えのような気もするが、アイドルのプロデューサーや楽曲製作者は人形遣い、アイドルは操り人形と喩えることができる。*2この喩えにのっとると、彼らは「まだ」人形遣いの思うままに動く人形「だった」のである。

ただしアイドルが普通の人形劇と異なるのは、その人形が自らの意思を持って動き出すことがあり、逆に人形遣いの方をコントロールすることさえあるという一点である。

そこにたどり着くポイントについては次の章で説明したい。

転換ポイント、「Cheer Up!」

続いて時期は飛んで2016年に発売されたミニアルバム「Cheer Up!」の話に移りたい。タイトル通り様々な形の「応援」が形となったこのミニアルバムは、後の「ボイメンらしさ」を決定づける転換ポイントだったと、私は考えている。

その理由は二つある。一つは、恋を応援する「チョコレートプリンス」、中日ドラゴンズを応援する「stand hard!~オレらの憧れ竜戦士~」を経て、「ボイメンなりの」応援スタンス、言い換えるなら「ボイメンのガンバリズム」が少しずつ「YAMATO☆Dancing」以降の形に近づいてきたから。もう一つは、それを経てこの辺りから、メンバーの歩みと歌詞の足並みが揃い始めてくるからである。先ほどの人形遣いと操り人形の喩えで言うならば、「人形が意思を持ち始めた」と言える。

その転換ポイントとなるアルバムの中でも特に、リード曲である「どんとこいやー!」に注目して書いていく。

Hello,Mr.緊張(あははん)
その特殊能力(ぴぴぴぴぴ)
お腹いたくなる
手も震えだす(ギャー!)
間尺に合わねぇ!
なぁ、せっかくなら
手を組もうぜ トゥーギャーザー!!!(フ―)

どんとこいやー!大舞台
どんとこいやー!マモノども
こちとらァ 何度も何度も
何度も何度も顔上げ やってきたんだから(ヤー)

(「どんとこいやー!」より)

Bメロ部分にはここまでの段階で作られた「ボイメンのガンバリズム」を構成する要素が含まれている。Bメロ部分には、「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」要素がある。そして、サビに入ると一転して「どんとこいやー!」と「大舞台」や「マモノども」に呼びかける、つまり「外側に対しては拳を振り上げて闘う」という新しい要素が追加される。*3

そしてこの新要素は、後々の「ボイメンらしさ」にも大きく影響することとなる。

拳を握り締める「YAMATO☆Dancing」~「炎・天下奪取」と、その裏の出来事

こうしてそれまでの様々な要素を受け継ぎ、メジャーデビューシングル「YAMATO☆Dancing」が生まれることとなった。メジャーデビュー楽曲はその後の対外的な路線にも大きく影響することが大半だが、ボイメンの場合は「どんとこいやー!」から大々的にアピールされるようになった「外側に対しては拳を振り上げて闘う」という鼻息の荒いものに決定したのである。

無論これは「BOYS AND MENのパブリックイメージを固めて土台を作る」という、一種の商業的な戦略だともいえるだろう。

「YAMATO☆Dancing」は音楽的にもコンセプト的にも「わかりやすさ」にこだわっている。サビから始まり、そのサビでタイトルを歌っている点、アップテンポでリズムに乗りやすい点など音楽的観点では色々な「わかりやすさ」がある。ではコンセプト的な「わかりやすさ」は何かというと、「どんとこいやー!」で表出するようになった「外側に対しては拳を振り上げて闘う」というポイントである。その結果、「炎・天下奪取」の頃まで、「ボイメンのガンバリズム」を形成する要素だったはずの「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」点は、シングル表題曲では陰に隠れることとなるのだ。

しかし、その2つの要素は消滅してしまったわけではない。一般層が手を伸ばすことが少ない(反面オタクにはよく届く)アルバム曲の中で、様々な形で育てられることとなった。

例えば「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を「ボイメンなりに」カバーした「ヤングマン~B.M.C.A.~」はその良い例である。

(BMCAに関しての所感は↓に書いてあるので良ければ箸休めに読んでほしい)

lettucekunchansan.hatenablog.com

このほかにも「まえのめりMinority」は「外側に対しては拳を振り上げて闘う」と「誰しも弱い部分、辛いことがある」の両立の良い例だし、「ガンバレ For My Girl」中心にアルバム「友ありて・・」オリジナル曲は「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」の二点を様々な視点から描いた佳作である。

そして「炎・天下奪取」でやや過剰なまでにデフォルメされた*4「外側に対しては拳を振り上げて闘う」姿勢をもって、この要素はいったんほぼ完成するのだ。

「頭の中のフィルム」登場の意味は「作り上げた路線の破壊」だけではない

そして時は流れて2019年。この年の1月に行われたナゴヤドーム公演を終えて一発目に登場したのが「頭の中のフィルム」である。メジャーデビューからカウントすると5枚目のシングルであるこの曲の最も大きな目的は「一度作り上げた路線の破壊」にあると思う。前述の通り「炎・天下奪取」でいったんそれまでの路線が完成してしまったため、その路線を一度壊してやる必要があったのだろう。

聴いただけですぐにそれまでの楽曲との違いがわかる。*5それは単に曲調やサウンドだけの問題ではなく、表題曲では一旦「外側に対しては拳を振り上げて闘う」という形の「ボイメンのガンバリズム」が姿を隠したということでもある。それは同年にリリースされた「ガッタンゴットンGO!」でも共通しており、「分かり合えないことも別離もあるけど、それでも人生は続く」という一種の諦念、折り合いをつける部分もあるように感じる。*6

この「分かり合えないことも別離もあるけど、それでも人生は続く」点は、実は既に「友ありて・・」(楽曲)である程度描写されていた。しかしこの詞は最初からボイメンが歌うことを想定して作られた、というわけではないため、うまくこの要素を内在化できたのが「頭の中のフィルム」以降の動きなのだろう。

(そこらへんを踏まえたシングル「ガッタンゴットンGO!」ざっくりレビューもあるので箸休めに↓)

lettucekunchansan.hatenablog.com

全体を通して、2019年のBOYS AND MENの楽曲にはそれまでのような鼻息の荒さはない。裏を返せば、最年長が30代、最年少も25歳に突入した年というのもあり、「大人っぽさ」が要求されてきたともいえる。*7

この「諦念」「折り合いをつける」という一見「諦めなければ夢は必ず叶う」というボイメンの理念とは正反対の概念こそが、かえって「Oh Yeah」で打ち出された新しい「ボイメンのガンバリズム」をブラッシュアップすることとなる。

ボイステ「諦めが悪い男たち」を経、そして「Oh Yeah」へ

 そしてここでようやく「Oh Yeah」の話に至る。お待たせしました。でもまだボイステの話ちょっとだけあるから最後まで付き合ってね。

舞台「ボイメンステージ『諦めが悪い男たち』」は、赤羽一真という主人公を通してボイメン(あるいはフォーチュン)の掲げる理念を丁寧に描いたものであった。そこでは、勢い重視の鼻息の荒さでもなく、「いろいろあるけど今は頑張るしかないよね」というような消極的な踏ん張りでもない「諦めの悪さ」が存在していた。今までの経験からブラッシュアップされていった、「転んでもただでは起きない姿勢」「そしてそれを自らの行動で周囲に伝えていく」諦めの悪さである。これは、「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」「外側に対しては拳を振り上げて闘う」この三つのどれが欠けても成立することはなかっただろうし、どんなタイプの「諦めの悪さ」より何倍も強固なものである。

(ボイステの所感は↓に。)

lettucekunchansan.hatenablog.com

そして、ここまでの様々な経験を踏まえた「Oh Yeah」でついに、BOYS AND MENは新たなステージに立つことができた。前述の通り「誰しも弱い部分、辛いことがある」「孤独では乗り越えられないことも一緒に乗り越えていこう、とこちらに呼びかける」「外側に対しては拳を振り上げて闘う」の三要素をうまく融合、「ボイメンのガンバリズム」をもうひとつ上のレベルへ昇華させることに成功したのだ。

もはや彼らは人形遣いに操られているだけではない。むしろ人形そのものが人形遣い、挙句の果てには人形劇の観客すら巻き込み物語を作るようになった、そう感じられる。

絶対負けるな!こんな世の中に

明るい未来を信じ立ち上がれ!

頑張る気持ちは無くしたわけじゃない

過去の自分を捨てて走り出せ!

(中略)

何かを変えたいなら 今の自分を変えてゆけ

譲れないもの胸に抱きしめ

明日への希望の光 その手でつかみ取れ!

(「Oh Yeah」より。正確な歌詞表記が不明のため暫定)

 (ぶっちゃけ、ここを聴けばすべてわかることなのでもう私の長話いらないかもしれない……。まあ書くんですけど……。)

 ビーイング系や90年代のアニソンを彷彿とさせるまっすぐなサウンドに、老若男女誰にでも伝わる強固なメッセージ。少年ジャンプのようなまっすぐさ、ひたむきさ、熱量をここまでまっすぐに表現しても上滑りしない、嘘臭くならないのは、今が「afterコロナ」「withコロナ」の社会だからではなく、彼らが今までたくさん積み上げてきたものが存在しているからだ。ひとりのオタクの主観なのは重々承知だが、どうしてもこれだけは断言させてほしい。

むすびに変えて

今回の記事を通して、BOYS AND MENのシングル表題曲に流れる「ガンバリズム」的要素とその変遷の経緯を(おおまかにではあるが)示せたと思う。この話は新曲の話が影も形もなかった6月上旬頃から延々と考えていた話ではあったので、「Oh Yeah」でようやくパズルの最後のピースが嵌ったような感覚がある。

BOYS AND MENは結成からの10年を通して、他者にまっすぐ過ぎるほどまっすぐな言葉を届けられるグループになった。「新しい生活様式」の中であっても「転んでもただでは起きない」タイプの適応能力もある。

そんなグループだから、これからも高みを目指して一緒に世界を旅していけたらと思う。何があっても負ける気がしない。

MV公開と正式なCD発売日が来たらまた所感を書きます。

*1:このころは共作や補作詞含めて全曲YUMIKO先生が作詞に携わっていたからかもしれない

*2:厳密にはボイメンはアイドルではないとしているが、便宜上この表記を使う

*3:「バリバリ☆ヤンキーロード」に代表されるYankee5の要素を経てのものともいえる。これ以降の「ヤンファイソーレ」「シャウッティーナ」なども「外側に対しては拳を振り上げて闘う」要素は少なかったが、「花道ゴージャス」でこの要素が強くなる

*4:ヒャダイン氏の遊び心によるところが多い

*5:リリイベに足を運んでいた人なら、曲終わりの一瞬静まり返ったのちにワッと拍手が起こる、あの今までとは少し違う感じを思い出していただきたい

*6:一応言っておくと、この要素と2019年に起きた田中俊介さんの活動休止、脱退は直接は関係ないと考えている

*7:その流れは「夢Chu☆毒」「粋やがれ」といったc/wで異なる形として可視化されることとなるが