新緑ノスタルジア

生きていくのがVERY楽しい

BOYS AND MENが「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」を「ヤングマン~B.M.C.A.~」にリメイクする意味。

こんなご時世なので推しの過去のブログや見れてない過去作品を漁って記憶に浸ったり、各種の動画、配信にぬるっと顔を出して名古屋、あるいは赤羽橋の彼ら彼女らの無病息災を祈ったりしていたずらに日々を過ごしています。一向に新生活の気配が感じられません。

 

そういうわけでいろいろ過去の楽曲についてもインタビュー記事を読んだりもしていたんですが、前々から気になっていたことがあって。それが今回のタイトルに繋がるわけです。

 

オマージュ・引用ではなく「カバー」

ヤングマン~B.M.C.A.~

ヤングマン~B.M.C.A.~

  • BOYS AND MEN
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 この曲は西城秀樹さんの「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」*1を元に、ボイメン筆頭にフォーチュンではすっかりおなじみのYUMIKO先生が新たに歌詞を作りリメイクした一曲となっています。

アルバム「威風堂々~B.M.C.A.~」では一番最後に収録されており、過去のインタビューでは「バラードをやって感動で締めくくるっていうのが綺麗な流れではあると思うんですけど、ボイメンの場合、最後は明るく。」*2と言及されています。

また、フェスなどの外部イベントでも、「原曲の知名度」「一緒に踊れる」「ボイメンらしさがわかりやすい」と三拍子揃ったこの曲はたいへん重宝されており、ボイメンの大きな武器と言える曲でしょう。

しかし、BOYS AND MENがこの曲をオマージュでも引用でもなく「カバー」、それもCD音源という形に残るものにしたのはなぜなのだろうか。私はそれが気になって仕方なかったのです。

 

 「ボイメンナイズ」される歌詞

ここからは、西城秀樹版「YOUNG MAN」(以下「ヤングマン」)、BOYS AND MEN版「ヤングマン~B.M.C.A.~」(以下「BMCA」)の歌詞を見比べていきます。

ヤングマン ほら見えるだろう

ヤングマン 君の行く先に

ヤングマン 楽しめる事があるんだから

こちらが「ヤングマン」。同じ部分を、「BMCA」では

ボイメン お金がなくても

ボイメン 時間がなくても

ボイメン やる気さえあれば

なんとかなる!

と歌っています。「ヤングマン」はざっくりと「若者」に向けて歌っているところを、「BMCA」では「仕事、学業に追われる現代の忙しい人々」とさらに具体的になっているように感じます。

そして、

ヤングマン 聞こえているかい

ヤングマン 俺の言うことが

ヤングマン プライドを捨ててすぐに行こうぜ

この部分は

ボイメン 失敗したって

ボイメン 後悔したって

ボイメン 失恋したって(T_T)

終わりじゃない

となっており、ここもより具体的に呼びかけていることがわかります。

そして極めつけは、

ヤングマン 青春の日々は

ヤングマン 二度と来ないから

ヤングマン 思い出になると思わないか

この部分をまるっと

ボイメン 命ある限り

ボイメン いくつになっても

ボイメン 誰でもみんなが

ヤングなのさ

と変えてしまいました。

要するに、 「ヤングマン」の方で歌われる「若者には二度と来ない青春の日々を謳歌してほしい」というメッセージを、「いくつになっても青春はやってくる、だからその時を楽しもう」というものにボイメンナイズしてしまったのです。

実際、ボイメンにはサラリーマンやパティシエといった社会経験を積んでから芸能界に飛び込んだメンバーもいれば、学生時代から自らをボイメンに捧げてきたメンバーもいます。

また全員10代でデビューするアイドルグループも多い中、ボイメンは幾多の辛酸をなめながら、メンバーの多くが20代半ばに突入する時期にメジャーデビューをしました。

その事実が、よりこのように改変することの意義を強めていると思います。

 

変わらないもの

しかし、これまで挙げてきた部分とは一転して(細かな文言は異なっていても)言葉の趣旨が変わらない箇所もあります。

ヤングマン 夢があるならば

ヤングマン とまどう事など

ヤングマン ないはずじゃないか 俺と行こう 

ヤングマン」で歌われるこの部分は、「BMCA」では

ボイメン 夢があるならば

ボイメン 迷う理由など

ボイメン ないはずじゃないか

オレらが一緒!

であり、大きく意味が変わるような改変はありません。「俺(たち)と一緒に夢を追いかけていこうよ!」という、とても前向きなフレーズです。

また、

ゆううつなど 吹き飛ばして

君も元気出せよ

この部分も、

理不尽も 吹き飛ばして!

君も元気出せよ

であり、数々の理不尽な状況に立ち向かってきたボイメンらしさの強調のために「理不尽」と改変されるのみで、大きな意味の変更はありません。

これらの「変わらない歌詞」こそが「オマージュ」でも「パロディ」でもダメだった理由だと感じています。

時代を超えて、西城秀樹さんとボイメンが伝えたい「つらい気持ちにも負けずに、一緒に夢を追いかけよう」といったメッセージは共通しているのだろうと思いました。

 

 じゃあ「引用」じゃダメなのか

オマージュやパロディがダメなら、他の曲をリスペクトをもって引用する*3技法もあります。これではダメだったのでしょうか?

ここまでの考えをもって言うなら、答えは「ダメ」です。

なぜなら、ここまでで挙げた「ボイメンナイズされた歌詞」「変わらない歌詞」が揃って初めて、伝えたいことがすべて揃い完成する曲だと思うからです。

もともとボイメンはオリジナル曲の雰囲気や、「BMCA」ののちにカバーされる曲の選曲*4を見るに、昭和歌謡や「昭和」そのものに抱かれる泥臭い暑苦しい、それでいてゴージャスな雰囲気を現代に伝える役割を担っていると思います。

しかし、それだけでは「ボイメンがカバーする意味」にはならない。

楽曲をカバーして、しかもCDに作品として残すわけですから、半端なものを世に出すわけにはいかないのです。ただカバーするだけでは曲の知名度を利用しているだけに過ぎません。

いわゆる「ボイメンらしさ」は、「Yamato☆Dancing」「炎・天下奪取」に代表されるような、理不尽からも逃げず元気にがむしゃらに突き進む力だと思われていますが、それだけではありません。

「ガンバレ For My Girl」「明日は明日の風が吹く」のように、弱い自分、失敗してしまう自分も肯定しながら、それでもまた前向きに進む力も包摂していると思うのです。

そしてそこには、どちらも「俺たちと一緒に」という言葉が含まれる。

そのどちらも過不足なく表現するためには、「歌詞を改変したカバー」である必然性があったのでしょう。

 原曲の魅力を継承しつつ、「ボイメンらしさ」という個性も同時にアピールしてしまう。

これこそが、「ヤングマン~B.M.C.A.~」の最大の魅力であり、この曲を音源として世に出した意味なのだと思います。

 


BOYS AND MEN - 「ヤングマン〜B.M.C.A.〜」MV

*1:更に言うと、西城さん版もヴィレッジ・ピープルのY.M.C.A.の日本語カバー

*2:https://music.fanplus.co.jp/special/20161208788764855

*3:これが「パクリ」との決定的な違いだと思います

*4:沢田研二TOKIO」、ピンク・レディー「UFO」