新緑ノスタルジア

生きていくのがVERY楽しい

読んだ本(8~11月)

1~3月

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4月

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5月

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6~7月

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ジャンル雑多、ネタバレ配慮ゼロ、読んだ順

 

8月

「『テレビは見ない』というけれど エンタメコンテンツをフェミニズムジェンダーから読む」

誰かが批評しないと放置してる間にどんどん悪いものになっていくかもしれないってのは本当にそう。そのために批評がある。私は日本のエンタメにそんなに絶望することはないんじゃないですか〜と思ってるのでちゃんといい所も回収されててよかった。複数人から好評だった「チェリまほ」と「問題のあるレストラン」は観ます。悪ぶるため、イキるための露悪的な「本音のようなもの」じゃなくて本当に本来のマジレスとしての「本音」が求められる世の中なんだってことがわかりました。でもバラエティやドキュメンタリーはともかくドラマみたいなフィクションはリアル突き詰め過ぎるとしんどいんだよな。多少お花畑って言われても希望を持たせた方がエンパワメントにも繋がるってのは同意見です。elaboは海外エンタメに明るい人が多い一方日本のエンタメはそこまで……な感じがするので拾っていくポジションを担いたい。

あとは、BLドラマがどんどん出る一方で女性同士の恋愛、百合(あえて分けて表記する)のドラマがなかなか出てこないのはオタクとしてもアライとしてもつらいものが、ある……

 

杉田俊介「人志とたけし 芸能にとって『笑い』とはなにか」

ビートたけしは正直私よくわかってないので今こそ学ぶ必要がある人だなと。ここまで今も芸に貪欲な人だと知りませんでした……。松本人志は「善悪や美醜の価値観を全部まとめて引き摺り下ろして虚無(うんこちゃん)にする」ってまとめられてようやく彼に対する底のしれなさに対してひとつ何か見えたような気がします。そこが現在の反知性主義的なものと地続きって見方もできるのも、わかる。正直なんであそこまで持ち上げられてるのかわからないんだよね。(先輩芸人からの影響というよりインターネットの笑いからの影響もデカいって言ってるある若手芸人のツイートが脳裏をよぎったので、インターネットとお笑いに関する文献があれば知りたい……)あとはしばしば引用されてた鶴見俊輔の漫才論も読みたい。彼はあくまで笑いは大衆のパワーに起因するもので、大衆のパワーをポジティブなものとして見てたけど私はちょっと簡単に同意はできないので……でも身体性や一生懸命さによる偶発性による笑いに関してはわかるし、なんかモグライダーとか好きそうだなとか思ってしまって気になる。

芸能人が文化人になったら「あがり」説に関連して、ビートたけし松本人志の共通項として「映画」の分析が出てたけど、これエッセイとか小説だったらもっとやってる人多いだろうしもっと幅のある分析になりそう。

西森路代さんとの若手芸人についての対談で出てきた「ゼロか100かで割切れない曖昧なものを描くときの両義性、危うさ」については蛙亭、ラランドの例がすごく納得いった。私はだからこそもっと見てたくなる。

「文芸批評はそれ自体が芸術であるべき」って話、私はあんまり納得いかないな……。

あとこの人「ジョジョ論」ってタイトルの本も出してるみたいなのでそっちも読まないとですね。

 

香月孝史「乃木坂46ドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟」

演劇に身を投じるアイドルということでハロオタなのでビヨや演劇女子部が脳裏をよぎる。比較してみたい。キャラ・役名/(芸名)/本名=プライベートの多層構造に関しては通じるものがあるはず。アイドルが役を演じることによってアイドルという概念やグループのあり方自体を問い直していくことはハロプロがやってる演劇女子部だと「スマイルファンジー」「眠れる森のビヨ」がわかりやすいだろうか……乃木坂のメンバーたちはそういうスターシステムに依存しない演劇への道も切り開いてきているけど、「アイドルが役を演じる」ことで本人やアイドルそのものと重ね合わせる見方については変わらないのか……と感じた。それ自体の良し悪しはともかく。

乃木坂の、AKBが作ってきた10年代のアイドルにおける競争やパーソナリティすべてを話題の種化する風潮への躊躇い、違和感の表明が少しずつグループ全体のカラーを作ってきたがそれでも旧来のシステムから抜けきれない部分はどうしてもある、ってところは的確だと思った。生駒ちゃんはセンターになるのがずっと怖かったって話は初めて知ったので門外漢としては驚き。競争社会への違和感を提示しつつも抜けきれないところでその歪みが出てしまったのが欅坂なのかなと。オタクたちの大半がアイドル側の「静かな成熟」に気付けるならそれでいいんだけど、気付けないオタクが多い以上いくらアイドルが成熟しても/既存システムへの違和感を表明してもそれを受け止められる環境にないわけで、それじゃあオタクも変われないよね。

今の女性アイドルシステムの問題点として卒業がエイジズムに加担してしまってるところ(なにも皆が皆一定の年齢になったから卒業するわけじゃないけど、結成時点でハイティーンだったオリジナルメンバーは既に卒業を視野に入れながら活動してたって話はちょっとしんどいものがある)、恋愛禁止(=異性との性的な接触の禁止)による異性愛規範の再生産や女性への抑圧……ここはハローにも、ほかのあらゆる女性アイドルグループにも言える。既にいろんな人が指摘してることではあるけどこれはもうオタクがわーわー言ってるだけじゃ解決しなくて、業界の内側から問題提起して動かないと変わらない気もする。それこそ和田さんみたいな人とか。そういう人を支持することで間接的に協力するぐらいしか、オタクにできることはないような……

 

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

知ることはいろいろな障壁やトラブルを乗り越えるのにすごく役立つし、無知より絶対いいんだけど、それだけじゃどうにもならないのが現実だよねと思う。特に「地雷だらけの多様性ワールド」で感じた。どれだけ知識があって相手の気持ちに寄り添う意志を持っていても、それでも傷つけてしまう・傷ついてしまうことはあって、そこにどれだけ自覚できるかも大事だと思う。でもエピソードに出てくる子供たちはみんな、日々全力で目の前のことにコミットして学んでいる途中だし、私自身も自分の人生において常にそうなんだと思えた。民族ナショナリズムと異なる地域ナショナリズムの概念は初めて聞いたけど、たしかにそういうのは自分にもあるなと思う。右派のナショナリズム崇拝にも左派のナショナリズム絶対反対にも馴染めないなあ。

 

梶尾真治「まろうどエマノン

エマノンは出会った人みんなにとって忘れられない存在になっていくことを改めて感じた一冊。特に「かりそめエマノン」は今まで読んだストーリーと少し違って双子で母親だからこその愛憎が率直に描かれていて、でも最後には使命の正体である愛情に気付くって終わり方が綺麗だったな……と思う。エマノンにある時男女の双子が生まれるって筋でどう転がるかあれこれ予想してたけどただ会いにいって会話するだけの話で終わらなくて嬉しい。毎度のことながらエマノン自体のスケールが大きいからこそ数十年の時間の経過を扱っても話の軸みたいなのがぶれないんだな。

 

山下泰平「『舞姫』の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本」

デジタルアーカイブの力ってすげー!が止まらない一冊。当時の人も真剣に取り合わず現代人もほとんど知らないこともこうやって閲覧して考える人が出てくるもんな。今の娯楽小説や漫画に繋がる要素も散見されるのが面白かった。なんだかんだ稲妻強盗とか海賊房次郎とかもゴカムのキャラの元ネタになってたりするんで徒花扱いされた犯罪実録にも意味があったんだな〜〜……。明治末期〜大正のオカルト・超能力ブームは個人的に興味があるのでもっと掘り下げたところも見たかった。

 

森見登美彦「四畳半タイムマシンブルース」

変わらない四畳半世界があって心が京都に飛んでゆく……明石さんこんなおもしれー女だったっけ?!ネジの緩み具合が加速してる気がする。中学生の私をアジカン中村佑介先生に繋いでくれた作品でもあるのでもはや血肉になってるんだよね……今になってまた新作が読めるのがただただ嬉しい。声出して笑いながらの読書体験もなかなかない。小津は幸せにならなくともよい!!

 

鮎川ぱて「東京大学ボーカロイド音楽論』講義」

この本に関してはここで色々話しました。

www.elabo-mag.com

ボカロの家族イメージとつんく♂(ハロプロ)の家族イメージを比較しつつ、郊外のマイルドヤンキー的な価値観へのカウンターとしてのボカロという視点が見出せたのは我ながらいい着眼点だったのではと思っている。ボカロは私の思春期、人格形成期の記憶に深く結びついている曲が多すぎて、「二息歩行」や「ロストワンの号哭」なんかは聴くだけで涙が出てしまう。そんな楽曲群も投稿から何年も経ちボカロシーン自体が変わっていったのは肌で感じているけど、それでも自分の中でひとつの「帰る場所」みたいになっている体験が今も残っているのは嬉しいね。

 

杉田俊介「マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か」

まっとうな人間であるためには常に自問自答し、他者への想像力を持つことが必要なんだけど、それを実現するための私の意見として、きわめてマッチョな考え方ではあると思うけど、「自分は今何を考え/感じているのか」「何を望み何を拒否するのか」を常に自覚することが大事なのではないだろうか。

「まっとうであるとは、複合差別状況の中でも、他者と自分に対する繊細な想像力を持ち続けられること、葛藤し続けられることです。」

「友人や同僚との会話の中で、誰かが『あいつは男らしくない』『あの子はおかしい』と嘲笑ったとき、そんなことはない、それは違うと口に出して言えること。あるいは、自分が傷つけられたときに、それを自己責任で片付けずに、痛いものは痛いんだ、おかしいものはおかしいんだ、と感じられること。主語の大きさ(『男』『日本人』)に逃げ込まずに、個人的な痛みを個人として実感できる、ということ。そんなものはおかしいんだ、と公然と主張できること。

人間としてのまっとうさ(decency)は、規範(norm)としての『普通』(normal)とも異なります。」

「重要なのは、社会問題を単なる文化の問題に切り詰めることなく、資本主義と経済体制の問題として(も)論じていくことです。」

入門向けに「ジェンダーって?クィアって?フェミニズムって何?」ってところから紐解いてくれてるのでこれから学びたい人(想定されたターゲットであるシスヘテロ男性だけではなく複合的に差別や抑圧が折り重なるなかでマジョリティ性を持ついろいろな人、かく言う私もシスジェンダーとして、日本に住む日本人としてのマジョリティ性から逃れられない)に薦めたい。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」「ズートピア」は観たいですね。あと「天気の子」ではセカイ系しながら社会批判してるって聞いたのでそっちも。

 

玉井建也「幼なじみ萌え ラブコメ恋愛文化史」

幼馴染に関する記述よりもむしろ、スクールカーストラノベの中でのその表象、郊外・田舎にあるいつまでも都心と同じにはなれない隔たり(主に文化資本の面で)、「団地」のノスタルジーなどに興味が惹かれた。むしろそっちを本筋にして、学術エッセイ形式ではなくてもう少し硬めの学術書としても読みたかったなーという気持ちがある……

 

辻村深月「図書室で暮らしたい」

生まれてから今までに触れたたくさんの「好き」が自分を形成している。それは紙面の向こうの作家も同じ。libraryとlibertyは似ている。ピンドラとジョジョについての記述が読みたくて読んだようなもんだけどどちらもよかった。ピンドラは東日本大震災のあった2011年放送で1995年の地下鉄サリン事件が下敷きにあること、だからこそ「僕は君を愛している」という人の営為が響くこと、辻村さん世代は「きっと何者にもなれないお前たちに告ぐ」という言葉が実態を持った重みとして響く(多分)最後の世代であること……これは後追いの自分にはわからないな……と思う。青柳美帆子さんが映画を受けてツイートしてた内容でも思ったけど。

ジョジョの方はというと、ジョジョリオンの舞台は杜王町とわかった時の「かつてジョジョを本誌で追ってた人」の衝撃がすごかったというこれまた当時を知る人にしかわからない記述が……

「オーダーメイド殺人クラブ」のセルフ解説文で、人生で戻りたくない時期は中学時代とあって、壮絶な失恋やいじめがあったわけじゃないけど居心地の悪さみたいなのがずっとあった……とか「借り物の言葉を振り回して悦に入っていた」のも思いところがあり過ぎる……っていうあのザラつきは何なんだろうなと私もずっと思っている。私もそれを描ける人間になりたい。

 

万城目学鴨川ホルモー」「バベル九朔」

わからない、荒唐無稽。だけど/だからこそもっと知りたくなって気付いたら引き込まれている。それが万城目学ワールドだった。デビュー作にはその作家の「全て」が詰まっていると言われているがデビュー作→ある程度期間が経った作品と続けて読んで実感できた。「あの子とQ」は買うか検討中。

 

ヒコロヒー「きれはし」

スルッと入ってくる喉越しのいい文章。「コリドー」、冗談半分から引くに引けなくなった人間って側から見るとめちゃくちゃ面白いんだな、、、

 

穂村弘・堀本裕樹「短歌と俳句の五十番勝負」

お題が毎回面白い。朝井リョウの「ゆとり」、鏡リュウジの「流れ」、牧師さんの「罪」みたいなその人のアイデンティティまんまをぶつけてくる人もいれば、又吉の「唾」とか女子小学生の「黒」とかそんなところ行くんだ!?って意外性、「放射能」や「共謀罪」みたいなそんな単語で作れるのか?みたいな単語まで、作風の違い、着想の違い、短歌と俳句の表現の違いなどが直球で伝わって楽しい。

特に好きなやつ。

喰らい合ふ夜食共謀罪めけり

古本屋に入ったことがあるだろうか、朝青龍は、松田聖子

夕焼に塗り込められてゆくこころ

(かわいいな)(かわいくないや)(かわいいじゃん)(かわいいのかな)転校生は

 

9月

壁井ユカコ「2.43 清陰高校男子バレー部」

長いこと積読にしてたけどこんな楽しみを置いてきた俺の偉さと愚かさ……章ごとに違うペアに着目して片割れから見た相方を描き続けてるのコンビ・CPのオタクとしては垂涎もの(固定派に優しいとも言う)。棺野くんと末森さんの関係が好き。この作品に末森さんがいることで外から見た男バレの空気がわかるし、「サマーサイダー」でも思ったんだけど壁井先生は「女子から見た男子」「男子集団への理想の押し付け・ないものねだり」の描写がうまい。文字媒体でこんなに白熱するバレーの試合が味わえるとは!

 

河野真太郎「戦う姫、働く少女」

ジェンダーと労働研究会「私たちの『戦う姫、働く少女』」

ポストフェミニズムは思想体系というより私たちの生きる「現状」と捉えた方が良いという考えは目から鱗。ポストフェミニズム新自由主義の功罪を考えると「人間の生きがい」みたいな新自由主義の「功」の部分にもぶち当たることになるので、新自由主義そのものへの理解も進んだと思う。その生きがいみたいなのが労働にべったり張り付いてしまってること、すべてに「生産性」が求められること、お金を使って財・サービスを消費する行為がそのまま社会における投票行為に値することを考えると、今突然人類が滅んだりしない限り市場経済からは逃げられないので、うまいこと市場経済・資本主義が「自然」で自明なものではなくて人の手で作り上げられてきたことを理解して利用してやる必要がある、という大意に同意できた。でもそれ言うともっと「左」の人からお前は左翼じゃないって言われる葛藤もあるよね。わかる。

「私たちの〜」の方の参考コンテンツにラブライブ!の名前が挙げられてて、あれもポストフェミニズムの中での自己実現(スクールアイドルはあくまで部活的な活動の一環のためどうもギャラが発生してないっぽいのである種の感情労働の搾取と読み取れなくもない?)とその中での女子同士の連帯(特にアニメではほとんど女しかいない世界、シリーズの主人公たちの通う学校が共学だったら私はあのIPを真っ直ぐに受け止められなかったと思う)という視点で読み取れるし、ニジガクが究極の個人主義とライバルとしての競争関係を実現しながらも「同好会」というコミュニティのもとで連帯するバランス感覚を持っていたこともわかる……。それ考えるとアイマスはゴリゴリに新自由主義のノリだなと思いますね。アイドル活動=承認と自己実現、基本Pとアイドルの一対一関係で連帯要素が薄い(ただしユニットありきのSideM、シャニマスはこの限りではない)、とか。歌マスの歌詞なんかも象徴的だし何よりアケマスが出たのは小泉政権の時代だもんな……。オタクども〜〜二次元女子アイドルとポストフェミニズム/第三波フェミニズムの話しようぜ〜〜……

ゼミの個人研究にもこの視点は取り入れたい。女オタはなぜ女性(キャラも含む)を支持・応援・消費するのか、そこに連帯の可能性はあるのか、など……

 

壁井ユカコ「2.43 清陰高校男子バレー部 代表決定戦編」

 

最後の最後までどちらが勝つかわからない展開だったし、どちらにも勝ってほしい、負けてほしくないと思えた。今回は全部小田と越智に持っていかれました。みんなが今しかない時間を必死で全力疾走してる。三村人気だろうなと思ってサーチしたら案の定結構な人気でした……みんな好きよこりゃ

あと当たり前だけどバレーの試合描写って毎回ローテーションのことも頭に入れとかないといけないから他のスポーツ以上に大変そうですね……これはハイキュー(10thクロニクルによるとプロットには毎回ローテがメモされてたらしい)でも思ったけど

 

壁井ユカコ「空への助走 福蜂工業高校運動部」

なんで運動部??バレー部だけじゃなくて??と思ったけど、みんながみんな部活に一直線だからこそそれぞれが努力して、一瞬でも彼らの人生が交わるところに福蜂の良さが出てると思った。主人公じゃないのにさらに愛着湧いちゃうじゃん!と思ったけど、多分先生にとっては全員が主人公なんだろうね……。「強者の同盟」読んで、ある意味高杉みたいなのも福蜂にいてよかったと思った。本編で灰島へも言及があったけど玉座は二つもいらないんだよな……

 

辻村深月かがみの孤城

辻村先生は思春期の繊細な気持ちを描くのが本当に丁寧。同じ世界をバラバラに、ともに生きるエンディングに繋がる仕掛けは現実の世界での共存の可能性にも訴えかけてくる強度があった。アニメ映画も楽しみ。ていうかアニメはオトナ帝国の監督なんだ……

 

10月

壁井ユカコ「2.43 清陰高校男子バレー部 春高編」

最後までどちらが勝つか分からない展開、「負けた先でも人生は続く」を底流にした勝者・敗者への平等な目線は今回も健在。三村も見にきてたのがよかったね。そして灰島は3年間ずっと清陰でバレーし続けると思ってたからほんとに腰抜かした。それも黒羽や先輩が1番にここじゃ彼の可能性を潰してしまうと思ったからなのがまた……😭翌年以降の春高で対戦相手として出たり大学で再会したり、ほんとにみんなの人生がこの章だけでも濃厚に詰まっていた。今連載してる大学生編も本当は今すぐ読みたいんだけどデジタル媒体のペライチをスクロールし続けるの目が滑ってしんどいんですよ……せめてページ送りができるようになれば……

 

江面弘也「名馬を読む」1〜3

ウマ娘の元になった馬やその馬のライバルに関しては自分で調べたりもしたけど調教師や騎手みたいな関係者の想いに関してはなかなか知れないのでこういう筆致で読めてよかった。あとマルゼンスキーより前のハイセイコーやクリフジについても全然知らなかったので読む意味はあったな。

 

朝井リョウ「発注いただきました!」

いわゆる「案件」で書いた小説やエッセイを集めていて、普段の作家性と少しズレた、でも所々に「らしさ」が香る独特の雰囲気を楽しめた。しかしご本人も後書きで書いてるけど宣伝のひとつとして小説を使うって選択自体が素敵だよね。消費者の奥のドラマを見ている気がする。

 

11月

大前粟青『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

どうしたって人と向き合うと傷つけ傷つくことは避けられない。それを回避するかのように人間ではない何かと向き合い喋る人々はやさしい。やさしいけど、無関心にも取られかねない。そういうことを丁寧に掘り下げていく作品群だった。個人の会話や関心の先には社会構造みたいなのがあって、そこの嫌な部分から逃れたいけど、抵抗しようとしても絡め取られることに対する疲労感みたいなのもちゃんと描かれててよかった。社会構造の中でしか各々の思考・言葉が形成できないとするなら、社会構造をちょっとでもいい方向に変えられればいいんだけど、そこのポイントにどう結びつけるかと言う話でもある。悪意のない人、いい人そうな人がポロッと言ったことで傷ついちゃうしそういう時にいっそ極悪人であればよかったものを……と思うことも何度もあったからその点のつらさに共感できた。