新緑ノスタルジア

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鏡が映し出すのはどんな自分?―アンジュルム「ミラー・ミラー」深読み

アンジュルムの「ミラー・ミラー」が想像以上にぶっ刺さっており毎日毎日ループしている。

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わかりやすく乗れるダンスナンバーで、タイトル通りシンメトリーを意識して踊るメンバーがかっこいい。そこも好きなポイントなんだけど、なんだけど。

私はこの曲の「歌詞」が気になって仕方ないのだ。

児玉雨子さんの書く歌詞が、今までより断片的な文体な気がする。「本当の自分」という共通したテーマを扱う「マナーモード」なんかは短編小説を読んでいるような感覚になったが、その感覚が薄れた気がするのだ。

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また、アンジュルムはここ最近「強い女」のイメージで語られることが増えたように思える。だが、それだけじゃない要素がこの曲に強く出ている感じもした。

そうした「違和感」から、この曲を深読みしていこうと思う。

 

 

この曲の主人公は誰?立場は?「マスカラ落ちてる」のは泣いているから?調べてみました!

まず、この曲の主人公は何者なのか。

"すっぴんのまま勝負しなよ" 簡単に見せてあげないよ」「メイクとか褒めてもらっても なんて返せば感じがいいかな」という歌詞からは、他者から見られる「わたし」というものにとても意識的なところがあると思った。それが前者ではプライドの高さ、後者では迷い*1という形で出てきている。

また、

Mirror mirror, mirror mirror ball

Who's the fairest?

Mirror mirror, mirror mirror ball

Who's the lonliest?

 

この世でいちばん

美しいのは?

臆病なのは?

とミラーボールに映る自分に問いかける。やっぱり「自分」というものに対する意識が人一倍高いのではないだろうか。

この辺りは言うまでもなく白雪姫の「鏡よ鏡……」のくだりが元であるが、このフレーズと「ミラーボールのあるダンスフロアで踊る若者」を結びつけるセンスがすごいと思う。

しかし「答えは散らばったまま」なのである。ミラーボールはいろいろな角度から自分を映し出しているのに光を反射させるだけで、白雪姫に登場する魔法の鏡のように何か答えてくれるわけじゃないのだ。だから「誰か見抜いて」となる。

また、さらに気になる歌詞がある。

音楽も視線も言葉も

通り過ぎて行ってしまうの

 

ちょっぴりの好き

めちゃくちゃ不安

これらは、自分に対する注目は一瞬一瞬のうちに現れては消えていくことを憂う姿を表現しているのだと思う。しかしメタな読み方をすると、これはこの曲を歌い、踊る「アイドル」の彼女らにも当てはまることなのではないか?ファンやたまたま目についた人々の自分への興味・関心は一瞬で通り抜けていく。この歌詞を歌わせたことにちょっとギョッとする。*2

そしてフル解禁直後から話題になっていたこのフレーズ。

唱えて独り 鏡よ鏡

マスカラ落ちてる…

主に「歌詞の主人公は泣いているのか?泣いていないのか?」でオタクの間でも意見が割れていたが、私は「泣いていない」派だ。

少しほとぼりが冷めて一人になって、ふいに鏡をのぞいた時に「あっ、マスカラ落ちてたんだ……」と気づくイメージ。(フィルムマスカラだと落ちやすいのだ)そして、それを誰も指摘してくれなかったことから「独り」にも気づく。そんな風景が脳内で展開された。

歌詞を読んでいるうちに、初見でぼんやり想像していた「ミラーボールの下、ダンスフロアで踊っているわたしが本当の自分だよ、だから見抜いてね」というほどシンプルな内容じゃないことに気づいた。なんせ

この世でいちばん

注目されたい

放っといてほしい

心はいつも正反対

そんな相反する二つの要素を「全部全部 わたしだよ」と言ってしまっているのだ。

つまり「ミラーボールの下で踊るわたし」も「それ以外のわたし」もおなじ「わたし」で、そこに本当/嘘の区分はない、ということになるのではないだろうか。そんな「わたし」を見てよ、と、「わたし」は二律背反な想いを歌いながら訴え続けている。

音源が解禁された当初「ひとそれ*3」を持ち出して「また『本当の私を見抜いて』ソングだ!」との声があったが、両者は全然違うベクトルの曲のような気がする。*4

 

「マナーモード」との比較―「和田リーダー」のアンジュルムと、「竹内リーダー」のアンジュルム

続いて、冒頭でも紹介、比較した「マナーモード」との比較をもう少し踏み込んだ視点で書こうと思う。

「マナーモード」は2017年12月、つまり和田彩花さんがリーダーのアンジュルムのために作られた楽曲である。

一方「ミラー・ミラー」は2020年8月、竹内朱莉さんがリーダーのアンジュルムのために作られた楽曲だ。「マナーモード」の頃からは、和田さんが卒業しただけではなく他のメンバーもガラリと入れ替わっている。*5

冒頭でも書いたように、「マナーモード」の歌詞は短編小説のようである。隠喩も豊富だし、「迷惑かけられない」「こころはいつも 鳴ってるの」「喉をそっと震わす」で「マナーモード」というタイトルの輪郭をはっきりさせている気がする。

じゃあ「ミラー・ミラー」はどうなのかというと、歌詞の主人公「わたし」の独り言のような気がする。使われるワードも「ヤな子」「やばい」など口語的なものが入ってくる。最後の最後、「君が見抜いて」でこちらに投げかけてくる感覚。本来交わらないはずの曲中の世界がこちら(=聴き手)の世界に干渉してきたかのようで少しぞわっとしてしまう。

そしてこの二つの違いは、和田さんと竹内さん両者の違いを反映しているようにも思える。しかしそれは、和田さん=「賢い」、竹内さん=「お馬鹿」のような単純な二項対立ではなく、優劣をつけるものでもないと思っている。賢さのタイプの違いだと思う。

和田さんは、大学(院)での経験を基盤にしたアカデミックな賢さがあるように見える。

竹内さんは、自分の経験を基盤にした知恵や知識が強く表れることが多いのではないだろうか。*6

そんな二人のリーダーの違いが曲にも滲み出ているような気がした。

(ちなみに、「ミラー・ミラー」のタイミングでそれが現れたと思う根拠は、「私を作るのは私/全然起き上がれないSunday」の頃(2019年11月)は卒業ラッシュの真っただ中で、楽曲の作り手側も、ひょっとしたらアンジュルムのメンバー側もそのスピードについていけていないような雰囲気を感じた*7からである)

 

補足:「カリーナノッテ」と「ミラー・ミラー」における「鏡」のあり方

児玉雨子、鏡……ときたらこの曲を思い出したので。曲が生まれた背景も年代も全然違うのでどれだけ結びつけて考えていいかはわからないが思考ログとして書き残しておく。

鏡の向こうの私は

一世風靡の大女優

きっとあなたは 世界で一番

スターだから 色褪せない くすまないわ

でもね

背伸びのヒールで足は痛いの

ルージュは少し ずれてしまうの

「カリーナノッテ」の中で「鏡」は主人公・コピンクが自分自身の理想を言い聞かせるときに使われている。 理想・現実を両方映し出すことができるものとも言えるだろう。

そして「ミラー・ミラー」もあるときに時に「注目されたい自分」「美しい自分」、またある時に「放っておいてほしい自分」「臆病な自分」を映し出すものとして描写される。

つまり「児玉雨子詞における『鏡』」は「人間の相反する様々な要素を映し出すもの」として使われているのではないだろうか?とも考えてみた。

 

 

この記事を書くにあたって児玉さんの書いた色々な曲の詞を見直していたんですが、児玉雨子さんの詞には「理想⇔現実」に悩む人間の姿がマクロなスケールでもミクロなスケールでも描かれているな~と感じたことを記して、この記事を締めようと思います。

ハロプロ中心にそれ以外のアーティストにも提供してるので、*8皆さんもぜひ聴いてみてくださいね。

*1:「わたしやっぱりヤな子だ かなりやばい自信ない」なんかもそう

*2:ちなみに別の方の読み取りでも「アイドルの視点の歌なのではないか」という意見は散見された

*3:Juice=Juiceの「『ひとりで生きられそう』って、それってねえ、褒めているの?」のこと

*4:もちろん、どちらが良い/悪いの話ではない

*5:この間に和田さんのほか勝田里奈さん、中西香菜さん、室田瑞希さんが卒業し、太田遥香さん、伊勢鈴蘭さん、橋迫鈴さんが加入した(太田さんは活動を休止中)

*6:なんとなく、「『俺バカだからよくわかんねえけどよ~』と言っておきながら物事の本質を的確についたことを言ってくる漫画のヤンキー」感がある

*7:この辺はここ最近のインタビューからなんとなく感じた

*8:このブログのメイン読者さん向けに書くとリズムヘッド「CAUTION!!」BOYS AND MEN 研究生「不肖この俺、イバランナー」祭nine.「Hey Hey Bon Bon」おとめボタン「じゃじゃウマおてんBURN!!」作詞