四半期オタク報告書(202201~03)
ざっくり見たもの・読んだものに関してピックアップして書きます。今年から個人的に日記を書いているので、その中からダイジェストで引っ張り出しているものが大半です。そのため文章の繋がりがごちゃついていたりしますのでご容赦ください。あとところどころ口が悪い。
それにしても1月から3月はあっという間ですね。
見たもの(映像コンテンツ)
ジョジョの奇妙な冒険(アニメ1~6部)
厳密には年末の休みに入る少し前から見始めてた。日記を読み返すと年明けの時点で4部に突入していたっぽい。まず見るまでに至った経緯を説明すると
・ドラマ版「岸辺露伴は動かない」を2020年から楽しんで観ていた(テレビに出てたら見るぐらいにはうっすら高橋一生が好きなので)
・テニプリの推し・芥川慈郎のテニス以外の特技は「ジョジョのスタンドを全部言える」
・ZOCに新メンバー・吉良乃ジョナちゃん加入
・友人(現・恋人)が熱烈なジョジョのオタク
・タイムラインに流れてきたアニメ予告の徐倫に一目惚れ
以上複数の流れがあった。
これこそ「人間賛歌」と心で理解しましたね……とりあえず暫定推しは
1部→SPW
2部→シーザー
3部→ポルナレフ(もちろん5部ナレフも好き)
4部→康一くん
5部→トリッシュ(ナランチャは孫)
6部→徐倫、F・F
ドラマ「恋せぬふたり」
見たうえでのポジティブな感想は概ねここで書いたんですが↓
それに加えて最終話まで見たうえでの感想としては、親子や兄弟姉妹は離れてようが家族のままでい続けられるし、家族(仮)も離れてようが家族(仮)のままい続けてもいいんだな……と思えた。血縁や生殖を前提とした異性でないなら「同居」しか家族の証はないのかと思ってたけどそれも思い込みだったのだ。
放送終了後賛否どちらの意見、感想も目にして、改めて自分の中に内面化してしまっている差別意識・偏見と向き合うことになった。高橋と咲子の性別が逆だったらこの関係はどうなっていただろう……?とか。ただ、このドラマが自分の中の「当たり前」をほぐしてくれたことは紛れもない事実なので、その気持ちを忘れず向き合い続けたいと思う。
男性ブランコのコントライブ「ヘッジホッグホッジグッヘ」
特に2本目(小うどん)、3本目(スンドゥブ)、5本目(兄弟)が良かった。この2人のコントはありふれた日常の中でキャラ二人がお互い積み重ねる違和感を「ワードセンス」という形で炸裂させている気がする。引っかかるフレーズをいい感じの場所に配置するのがうまい。エコの観点→エゴの観点→おこの観点とか。小うどん↔︎大うどんとか。単体だと「偽笑い」が好き。配信限定のおまけもあって嬉しい。「変身東京ウミウシ」も配信で見るつもりだったけど普通に見逃しました。「しょんぼりサーベルタイガー学園前」は絶対見る。こんなにハイペースに新作を作り続けられるのはすごい。
堂島孝平さんバースデーイベント
すっかりアンジュルム界隈ではお馴染みの人になり、ついに楽曲提供もかなった堂島孝平さんのバースデーイベントも見た。
1部も2部も最初から最後までしっかりエンターテイナーだった!アンジュルム経由で知った人ではあるけど、すっかり堂島さんの楽曲、人となりのファンになりつつある。1部の「果実」「スプリング☆スプリンガー」が特に良かった。2部では中学1年のときに作った詞に即興で曲をつけて歌っていたんだけど、「若気の至り」を「若気の至り」のままにしてないのがなんかよかった。新曲アルバムも楽しみ!
この日に両部で「いとしの第三惑星」が歌われたことを忘れないでいたい。
ミュージカル「新テニスの王子様」
待ちわびた新テニミュ2弾!!これは別記事で感想書きます。とにかく迫力や凄味を感じて、1st~3rdのテニミュとも4thテニミュとも違った面白さでした。
空気階段第5回単独公演「fart」
面白かった!バカみたいに笑って面白かった……けど、正直「anna」越えではなかったな……と冷静になって思う。「anna」は笑いとじんわり暖かくなる気持ちが同時に来ることが多いタイプの笑い、「fart」はバカみたいに笑った後にぬくもりが後からやってくるタイプの笑いなので比較は難しいが……。「baby」「anna」に関しては↓で書いたけど、
この2本とKOC優勝を経てどこへ行くのか?どうしたいか?がまだはっきりと見えてこないところはあった。こっちが真新しい何かを期待し過ぎたのかもしれないが。新作ライブが復活するみたいなのでそれでどんな風になっていくか見ていきたいと思います。
アニメ「平家物語」
善悪両方併せ持つ生きた人間としての平家と源氏。成人男性たちの権力争いに無慈悲に巻き込まれていく女性や子供。それらをありのまま語り継ごうと決意するびわ。「儚い」はなんとなくわかっても「滅びゆくことの美学」と「その先も何事もなかったかのように続く日常」がわからなかった自分にそれを教えてくれたと思う。
読んだもの(漫画以外)
雪舟えま「恋シタイヨウ系」
一つのカップルの過去/未来/パラレルワールドという形で太陽系を巡る物語。ほのぼのSFロマンス。何度も何度も違う年齢・立場・性別・種族で出会う2人は全然違う生活を辿るんだけど、自然と共通項が浮かび上がってきたときの嬉しさったらない。Twitterのオタクが「百合とSFは相性いいけどBLとSFはいまいち」って言ってるの見かけたことあるんだけどこれ読んだ後なら堂々と嘘つけボケって言えるね。
平子祐希「今日も嫁を口説こうか」
この生活は自分には真似できない(し、多分彼のようなことを実践するタイプの人は私をパートナーに選ばないと思う)と思いながらも、違う文化として面白いな〜と思いながら読んだ。家事分担に対する持論とか。「平子る」とそうじゃない所の間をチラ見させてもらってる感覚になった。
森見登美彦「夜行」
「曙光」と「夜行」という同じ作者の連作がつなぐ昼・夜の二つの世界の物語。1-4章までは旅先での奇妙な出来事の語り形式なんだけど、そこで起きた怪奇現象が明確な解決を迎えないまま終わる、その「スッキリしない感じ」がかえって魅力になっていたと思う。最終章も「実は『夜行』の世界と『曙光』の世界があって二つの世界は違うルートを辿っている」っていうオチは驚きがあるけれど、「どこかにそういうもう一つの世界がある」という事実を知っただけで、最初から話題になっていた長谷川さんの失踪が解決するわけではない。だからこそ現実世界と地続きになった奇妙さがこの作品にはあるのだと思った。森見登美彦作品読んでると京都行きたくなるね。今回色んな場所が出てくるけど結局この人の作品で描かれる「場所」で一番生き生きしてるのは京都だと思う。
雪舟えま「緑と盾 ハイスクール・デイズ」
時系列的にこの話の未来にある「恋シタイヨウ系」を先に読んでたのでこんな3ヶ月と少しで出会い〜結ばれるに至ってるのかとちょっとびっくりした。緑が盾を好きになるのがすごく唐突だけど現実の恋愛も気付いたら好きになってるもんだしよくわからん組み合わせで付き合ってたりするもんだしなと思いながら読んだ。でもなんで舞台設定が未来の日本なんだろう。そこだけ引っかかった。
緑が盾を頑張って下の名前で呼ぼうとするところが1番よかった。ここが実質セックスみたいなもんだろ(暴論)
「ほんとうはおれは、大きな愛の流れの通過点なのではないか?」ここ結構好きなんだけど誰にでも愛し愛される経験があるって思考じゃないと出てこない言葉ではあるよな。
緑は機能不全家庭で育ったがその孤独が埋まるわけではなくむしろ恋することで新たな孤独が生まれ、盾は誰にも自分の奥底を踏み込ませないタイプの孤独感がある。2人にそれぞれ違う形の孤独があって、読んだ後に自分の孤独と向き合いたいと思えた。多分この2人は恋仲になれずとも(あるいは別れることになっても)出会えたことを記憶の底で大事に抱えて生きるんだろうな。そういう生き方のできる人たちだと思う。まあその後死ぬまで一緒なことが確定してるんですが……
みどたてのイメソンは「地球は今日も愛を育む/スマイレージ」ですね。
加納愛子「イルカも泳ぐわい。」
エッセイ、日記というよりは「加納さんが面白いと思ったことを文章という形式でちょっと覗かせてもらってる」感覚。日常と非日常の境界線が知らない間に曖昧になっていくのはAマッソの漫才にも通ずるものがあると感じた。番外編の短編小説「帰路酒」は私が好きな「世にも奇妙な物語」や「岸辺露伴は動かない」のような日常に「あるかもしれない」不思議の話で感覚がマッチした気がして嬉しかった。
石崎洋司「6年1組 黒魔女さんが通る!!」(1~10巻)
この作品については今現在最も俺くんを狂わせているため別記事に感想分けました。
lettucekunchansan.hatenablog.com
石崎洋司「陰陽師東海寺迦楼羅の事件簿」(1~2巻)
かの「黒魔女さんが通る!!」シリーズの公式スピンオフ。
回向寺と祈祷寺の違い、祈祷寺は一般的な仏教だけではなく密教の秘術、陰陽道、修験道、神仙道など利益になるものならどんな呪術でも使うって説明で陰陽師そのものに対する疑問にちょっと納得がいった。紫苑家とも繋がってるのね……(イラストだけ見ると小春は百合ちゃんの先祖に見えなくも無いが……これは微妙なライン)迦楼羅がいかに美少年であるかってのに何行、全体の何割使ってんだ?ってぐらい文字だけで顔の綺麗さが伝わってくる。ここのこだわりは石崎先生の強みだよね。(ギュービッドも逐一、くどいほどに色白美女なことが描かれている)こんなにガチガチにブロマンスで固めてきてるのに黒魔女シリーズの読者は「彼らがくっつくことは絶対にありえない」って分かった上で読むんだよな。これはこれで……!
あと出てくる怪異のグロテスクさ、不気味さが黒魔女さん本編とは段違いだった。これが黒魔女さん本編と地続きの世界と思うとちょっと震える。人体自然発火で骨も残らず焼け落ちてるのに足だけ燃えずに残ってる……とか描写がかなりリアル。「WW2期、旧日本軍の中にガス兵器、生物兵器を極秘で作る部隊があってその中には霊力を使った心霊武器開発の部門もあった……」とかもかなり生々しいオカルトだし、「霊力を使えば霊力も記憶も奪って廃人にできる」設定もエグいが、要所要所で黒魔女さんの流れを感じるから不思議。(あっちにも馬鹿馬鹿しい効力の魔法が多い中に黒死呪文とかあるわけだし)
本編は魔女だから西洋呪術メインだけどこっちは東洋呪術がメインでそれも新鮮。
迦楼羅さん、知的好奇心の塊で陰陽師らしからぬ行動力で動いて解決していくスタンス。人生の相棒と言っても過言では無い双子の妹の不在を(無意識に)豪太郎で埋めようとしてて、挙げ句の果てに2人の出会いを「シンクロニシティ」って定義しちゃうのウワア〜〜って感じだ。豪太郎も豪太郎で「迦楼羅さんとおれは一心同体なんだ。」とか言うからさー……寂しいから手繋いで寝てくれって言う所エロくないか……??🤔
福来友吉とか京大光線含めた日本国内の超能力論争周りの話は全然知らなかったので調べながら読んだんだけど100年ぐらい前までは物理学や心理学を使って本気で超能力を研究しようとしてたこと自体が面白いなと思った。(1巻感想)
石崎先生は一つのテーマ(今回だとおそらく「死者と生きた人間の交流」)から縦横に知識を広げるのがうまい。多分子供の頃から調べ学習とか得意だったんだろうな……。黒魔女さん本編における鈴木薫さんの存在のありがたさを確認するよね。迦楼羅編は東洋呪術と近代文学中心にいろんな蘊蓄が出てくるのでいつも調べながら読んでる。
特に第四怪のトリックにはまんまと騙されました。序盤に自動筆記で迦楼羅が書いた「縁の下」って蠱毒と繋がってるの!?東海寺父がやったのか!?って思ったらまんまと騙されました。記憶を捏造するとか……予想できん。ロジカルなミステリーではあるけど超常現象も当たり前に起こる世界なのでこういうことがある。
今回もやってんな!と思うところあったので未来の自分のために抜き出しておきます
「ああ、やっぱり豪太郎さんです!ちゃんとおぼえていてくれたんですね!」迦楼羅が、花のような笑みを浮かべると、肩を寄せてきた。
ふりかえると、迦楼羅が鬼のような目つきで、おれをにらみつけている。
「怪しいですね、豪太郎さん!」
「え?い、いや、おれは、あんなやつ、なんとも思ってな……」
「お願いですから、わたしのそばから、絶対に離れないでくださいね!」
「わ、わかってるぜ。いままでだって、ずっと……」
(中略)
迦楼羅が、怪しいとか、離れるなといったのは、そういうことだったのだ。
─おれは、それを迦楼羅のやきもちと誤解したりして……。
思い返しただけで、顔から火を吹きそうなほど、恥ずかしい。
本当に何?????????私がBL好きなのでそういうフィルターがかかってるのかもしれないが……本編の描写は言い逃れできないわよ……
第四怪の舞台が東京のはずれの田舎(1950年代時点)で、落合川があるということは今の黒魔女さんの舞台からそう遠くないんだろうけど、やっぱり第一小の校区は23区外のニュータウン(多摩〜八王子あたり)なんですかね。東京には明るくないので有識者の意見が知りたい。
あとこれは全然本筋には関係なくてむしろ黒魔女さん本編に関わる話だけど、紫苑家は旧財閥の大金持ちなら(今でもメグが毎日全身ハイブランドの服で学校に行ってるあたり財力は衰えてないことがうかがえる)小学校から私立に行かせる手段もあっただろうにあえて公立小学校に行かせたのはなんでだろう。 (2巻感想)
今のところ脳内妄想CVは
豪太郎…小野友樹
妙子…高橋李依
小春…巽悠衣子
ですね。
柚木麻子「本屋さんのダイアナ」
全体的に「男では耐えられない痛みでも 女なら耐えられます 強いから」って歌マスのフレーズ思い出しちゃうシーンが多かった。(耐える事をすべて肯定しているわけではない)ボタンのかけ違いで幼馴染や親子がすれ違ってしまう描写がリアルでソワソワしてしまう。
ティアラはダイアナにショックを与えたくなくて小6で性的な悪戯にあったこと、それがトラウマで誰にも話せなかったこと、男から自分を守るために金髪にしたこと、同じ理由でそれを娘にもさせてること、全部隠してるけど、それのせいで大きなすれ違いを産んでるのがしんどかった。しかもそれを(あくまでも他人の)彩子には話せてるってのも。その後もティアラが本音で話そうとすればするほどダイアナが遠ざかっていくので、誰かこの状況気付いて!!っていう。
あと彩子がヤリサーに巻き込まれて先輩にレイプされる描写も生々しくてキツかった。その後も先輩に合わせてしまう彩子も余計につらい。人が求めるものがすぐにわかっちゃうタイプの賢さってこういう風に自分自身を苦しめるよなあ……
「女の子ってやっぱいいよな。うん。自立したら、友達になれるんだもんね」
これでアンジュ卒業後のまろめいかな/あやタケりなのこと思い出した。じゃあ男って自立した先でどこに行くの?
武田くんが最終的にダイアナとも彩子ともくっつかないのも、ダイアナは一度は考えた改名を踏み留まってそのままの名前なのもよかった。(それでもHNにAYAって使っちゃうところが好き。本当に彩子との日々が大切なんだなと思う)
終盤の好きなフレーズ抜粋
「優れた少女小説は大人になって読み返しても、やっぱり面白いのだ。はっとり先生が言ったことは正しい。あの頃は共感できなかった心情が手にとるようにわかったり、気にも留めなかった脇役が俄然魅力を持って輝き出すこともある。新しい発見を得ることができるのと同時に、自らの成長に気づかされるのだ。」
「幼い頃はぐくまれた友情もまた、栞を挟んだところを開けば本を閉じた時の記憶と空気が蘇るように、いくつになっても取り戻せるのではないだろうか。何度でも読み返せる。何度でもやり直せる。何度でも出会える。再開と出発に世界中で一番ふさわしい場所だから、ダイアナは本屋さんが大好きなのだ。」
佐藤多佳子「明るい夜に出かけて」
なんの前情報もなしで読んだからアルピーのANNがこんなにがっつり話の根幹にかかわってくるの知らなくてびっくりした。ラジオが繋いだ縁ってことで「anna」を思い出したりもした。こういう緩やかだけど確実な繋がりって必要だよね。SNSも緩やかなつながりではあるけどそれともまた違う感じ。
「ただ、俺、二人で長い時間一緒にいて、イヤじゃない相手って、めったにいない。」
「色々。色々ある。色々あって、よくわかんない。色んなこと聞きたいし、話したい。いっぱい話したい」
決して特別で運命的ではなかったとしても、こういう出会いはある。その手助けになってくれるのが趣味なんだろうなと思った。そして、この話は人との繋がりを介してやりたいことを見つける話でもあると感じた。
「考えたことなかった。私が何か作る。他の人が、そこから、また何か作る。パクるんじゃなくて、ぜんぜん新しいものを作る」
特にこの台詞はアルピーのANNが大きく関わるこの作品で言うからこそ響く。共感や影響だけでは言い尽くせない。
この本きっかけでアルピーのラジオ聴き始めました。嘘と本当の境界線がぐにゃぐにゃになっていく感覚で脳汁出る。
せきしろ×又吉直樹「まさかジープで来るとは」
知らないはずの景色が奥行きを持って思い浮かんでくるのが(自由律)俳句の面白さだと思った。写真と俳句は似てる。
三浦しをん「きみはポラリス」
いろいろな恋愛の形。その中で共通しているのはそれぞれの形で思いを「貫いている」所だと思う。あと若い頃の同性や年上の身近な人への恋心を「一時の気の迷い」で片付けようとしてない。特に好きなのは「夜にあふれるもの」「森を歩く」。神秘的なものに恍惚となる「信仰」に近い気持ち(私にとっては信仰そのものではない)と恋心はある程度重なる所があると思う。信仰の土台になる知識や理論を理解した上で……というより神秘体験そのものに焦がれているのが肝
「森を歩く」で好きなフレーズ抜粋しておきます
「捨松と森を歩くのも悪くない。捨松はいつか、植物を夢中になって追うあまり、今日みたいな崖から人知れず転落死してしまうかもしれないし、私は明日にも、車にはねられて死ぬかもしれない。この先どうなるかなんてだれにもわからないんだから、捨松と行けるところまでは一緒に、道もない森のなかを進んでみるのもいいだろう。」
「そうして捨松が見せた笑顔を、私はきっと、ずっと覚えているだろう。もしもいつか、私たちの心が遠く隔てられてしまう日が来ても、この笑顔はいつも私のどこかにあり、花が咲いて散って実をつけるみたいに完璧な調和のなかで、私の記憶を磨きつづけるのだ。」
しかしお題「王道」から死体埋めが出てくる三浦しをんェ……
あと危険日・安全日の概念を当たり前に使ってるのにちょっと時代感じてしまった
今後もこういう感じで四半期ごとにまとめて書けたらと思います。
2021年もありがとうございました!!
ちょっと今年ほんとブログ書かなさ過ぎて総括とか書く時間もないんですけど簡単な形ではありますが挨拶だけでもさせてください……
2021年はまあ比較的楽しかったかなという感じです。道は自分で開いていくものと気付
けた一年でした。選ぶのも自分・捨てるのも自分。そして、創るのも自分。
よかったこと
- Zoomやスペースのおかげでインターネットでの交友関係が広がったこと
- ハロプロ評論合同誌を出せたこと
- 初のコピー本を出せたこと※頒布終了、WEB再録もうちょっと待ってね
#橘杏 #神尾アキラ 【ネップリコピー本サンプル】アプリコット・ジャム - レタスの小説 - pixiv
- elaboに加入して難題へ直面しても思考を続ける事を諦めない人たちにたくさん出会えたこと
ムカついたことはこれの倍ぐらいあるし読んでるほうも気分がいいもんじゃないだろうしやめときます。
来年はちゃんとしたいこと
- 毎日、日記を書く(今年は三週間で終わった)
- 課題を出し忘れない
- どのジャンルの現場でもいいので東京遠征する
- もっとエンタメへのアンテナを広げる(食わず嫌いを避ける)
来年も適度に適当に頑張ります。
「リョーマ!The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様」感想・考察・妄想
※特別お題「わたしの推し」に参加してます
※「新テニスの王子様」単行本35巻のネタバレが発生します
今年はブログを書く件数、頻度共にガクっと落ちてしまった。具体的に言うと放置されたブログと見なされ広告が出るぐらいである。見たもの聴いたものに関しての感想自体はあるのに色々とTwitterで済ませてしまうことが多く、後で遡ろうと思ってもなかなか見つからない。ブログは「誰かに読んでもらうため」というよりかは自分自身の記録の放流として書いているのだが、こうなってしまっては本末転倒である。
そして、この記事も本当は鉄は熱いうちに打て精神で私的ラスト鑑賞後すぐに書こうと思っていたのだけれど、その後本誌で起こったまさかの展開も盛り込もうとしてたらずるずるとこの日までずれ込んでしまった。
*
そんなわけで今年最後のブログです(まあまあ不本意)。公式サイトは↓へ。
- パワープレイの皮を被った最大公約数としてのオープニング
- テニプリ世界においてテニスとは何なのか
- 「リョーマ!」の劇中歌のポジション
- 「世界を敵に回しても」
- 原作者が一番マーケティング上手なコンテンツことテニプリ
- おわりに
パワープレイの皮を被った最大公約数としてのオープニング
本作は、これまで描かれてこなかった「テニスの王子様(以下「無印」)」と「新テニスの王子様(以下新テニ)」の間の三か月間を描く作品である。「原作未読でも楽しめる」という触れ込みのもと、「これまでのあらすじ」的な要素も、要所をかいつまみつつ全体を拾っていくと思っていた。上演前までは。
しかし、本編が始まって30秒やそこらで「Dear Prince~テニスの王子様たちへ~」の軽快なメロディと共に、天衣無縫の極みに覚醒したリョーマと無印のラスボス・幸村の戦いがダイナミックなカメラワークで描かれる。そして驚くべきことに、そのサイドではチームメイトや観衆が歌に合わせてダンスしているのである。
「なんだこれは!?」という驚きと同時に、「ああこれがテニプリだ……」という安心感もこみ上げて来ていた。
この「Dear Prince~テニスの王子様たちへ~」は無印でも最終回、リョーマVS幸村戦が終わり、すべての戦いに幕が下りた後にエンドロールのようにコマに歌詞が載せられているのだが、その印象を引き継ぎながらも、「見たことがないはずなのに見たことがある気がする」新たなシーンとして、本編に対する読者の記憶と記録を圧縮しわずか3分足らずの尺で昇華していた。しかも、ただ映像を見ているのではなく、映像・音楽が融合したエンタメ「体験」としての充実感も申し分ない。繰り返すが、まだ冒頭3分足らずの出来事である。
「説明感」を極力脱臭しながら「こういう作品ですよ」という説明、つまり「無印」との接続点として描く最大公約数となっていたリョーマVS幸村戦の再解釈だった。
ちなみにここのテニスシーンは、アニメやミュージカルでも表現の難しかったボールの回転や空間全体の立体感、広がりをうまく表現していて、こだわりが感じられる。テニスじゃないなんでもアリだとインターネットのオタクどもにいじられていても、そうしたトンデモ展開と矛盾なく両立するテニスへのこだわりを感じる*1、そうした所も「圧縮された」テニプリの素晴らしいポイントの一つだと言えよう。
テニプリ世界においてテニスとは何なのか
結論から言うと、テニプリ世界におけるテニスは「コミュニケーション」である。「テニス語」という言語なのだ。しかも、言語や立場を超えた究極の形として描かれる。2パターンある本作のうち「Decide」では、リョーマと手塚の関係を通してその形が強調されたように感じた。*2
リョーマ、手塚は同じ学校の部長と新入生という立場でありながら、この二人が長く言葉を交わすシーンはほとんどない。かの有名な「お前は青学の柱になれ」以降、リョーマはその言葉に対する答えを、言葉よりもテニスのプレイで返してきた。そのうえ、無印42巻末に収録された青学の卒業式統一を描く小説(許斐先生作)では、手塚の卒業間際であろうがお構いなしでテニスの試合を持ちかけてくる。それほど、彼ら二人にとって最高のコミュニケーション手段がテニスだったのだろう。
「Decide」でも、父・南次郎に電話をかけようとするとなぜか不思議なパワーで時空を超えて現代の手塚に繋がってしまう……というシーンがあるのだが(おそらくこのブログを読んでいる人に「リョーマ!」未見の人はいないと思うので詳細を省いて起きたことそのままを記述しているのだが、未見の人にとっては何のことだかさっぱりわからないシーンであることを文字に起こすことで再確認してしまった……)、そこでも手塚が窮地のリョーマに贈った言葉は、
「ただ一つ……テニスを思い出せ越前!!一番苦しい時、リターンはどこに打つ?」
である。
この二人が打つ一球には一体どれほどの意味が込められていたのだろうか。これからどのような意味が込められていくのだろうか。ほんの短い言葉ではあったのに、この二つを感じ取って、胸が熱くなった。
また、「リョーマ!」の物語における起承転結*3のうち最大の「転」の一つであるリョーマとエメラルドの勝負であるが、そこでもまたテニスが「コミュニケーション」として作用している。
二人の歌う挿入歌「DANGER GAME」が劇場中を沸騰させるほどにテンションを上げていく中で、言葉を交わさずとも互いの熱意がラリーされていく。このことについて、的確に言い表している人がいた。
見どころっていうか、言いたいことがあと一個あって、マフィアの女性・エメラルドの想いを受け止めて、カウンセリング(試合)してるリョーマが意外とカッコいいんだぜ.っていう.#こんなテニプリ見たことない#映画リョーマ #感想
— 柳浩太郎 (@yanagiktr) 2021年9月24日
リョーマと試合をして、リョーマという存在がエメラルドの頭の中にいることによって、いい感じに彼女が更生された.
— 柳浩太郎 (@yanagiktr) 2021年9月24日
映画を観たあとの人にもそんな効果が生まれると思う.その気持ち、大切にしちゃいな.#こんなテニプリ見たことない#映画リョーマ #感想
これがあまりにも的確過ぎてもう自分で書くことねえなと思いつつ自分なりに書くと、(劇中でその点について詳しく触れられることはなかったものの、おそらく「女性であること」や「マフィアの子であること」などが足枷となってかつての夢や情熱を失ってしまったと考えられる)エメラルドの中で眠っていた情熱を揺り起こしてくれたのが、リョーマという「ゾクゾクする」存在との出会いなのだろう。
しかしこの「カウンセリング」という言葉がリョーマVSエメラルドにおいて的確過ぎる……
「リョーマ!」の劇中歌のポジション
以前の記事ではテニプリという作品におけるキャラソンの立場を、「原作のエピソードをキャラクター個別の視座で再解釈」する立ち位置」であり、「同じ時点のことであっても様々なキャラの異なる視点・文脈が重なり合うことで、物語全体が縦横に広がり、作中世界全体がさらに深まる」もの、「ただ本編の展開と同期したキャラソンが生まれるだけではなく、その作中世界に生きている血の通った人間としての感情が滲み出ている」と解釈した。しかし、今作で歌われる劇中歌にはそれ以外の役割も存在したのではないだろうか。
今作の感想(主にテニプリ初見・出戻り勢からのもの)で、「テニミュっぽい」という意見を目にした。たしかに劇中では何度も歌って踊るシーンが出てくるのでそうとも取れるのだ。ミュージカル有識者(これはオタク話法としての「有識者」です)からは「ラ・ラ・ランド」のオマージュなのではないかと指摘されているシーンもある。しかし許斐先生の口からは「ミュージカル映画として作ってはいない」という発言もある。これはどういうことなのだろうかと自分なりに考えてみた。
許斐先生の考える劇中歌としてのキャラソンは、「シンプルな感情の爆発」なのではないか、と思うのである。
Golden age 350「プロには出来ない」にて、予想だにしなかった、許斐先生が作詞を手掛ける平等院の新曲「Death Parade ~どちらかを選べ!!~」の歌詞がコマに載せる形で公表された。プロには出来ないやり方として文字通り自らの命を賭し、そのことで日本代表の他のメンバーを鼓舞する平等院の気持ちが率直に描かれている歌詞だ。ほか、「新テニ」では手塚VS幸村戦のクライマックス、Golden age 306「手塚国光」で既存のキャラソン「Decide」の歌詞が使用されている。
たしかにこうした歌に感情を乗せたり、状況説明させたりして物語を進める手法は、「テニミュ」という文脈を無視してもミュージカル的でもある。しかしそれだけではなく、前述の「ただ本編の展開と同期したキャラソンが生まれるだけではなく、その作中世界に生きている血の通った人間としての感情が滲み出ている」要素も持っていると感じた。たとえば、「peace of mind~星の歌を聴きながら~」では、「リョーマ!」劇中でほぼ言葉での明確な説明がなかった*4桜乃の心情が、原作*5のエピソードを彷彿とさせる単語も交えながら明かされている。
よって、こうした原作の表現を踏まえて考えると、単にミュージカル的だからこのような表現を使ったというよりかは、「感情の爆発」を表現しようとした結果ミュージカル的になったのではないかと推察した。
「世界を敵に回しても」
さて、劇中歌の中でも特に注目すべきは、大団円として空からチームメイトやライバルが召喚される中で歌い、踊り、親子試合を繰り広げる「世界を敵に回しても」だろう。この曲には「リョーマ!」の肝となる要素が凝縮されているうえに、テニプリという作品が背負う縦横の文脈を端的に表すポイントが散りばめられているのだ。
まず、「リョーマ!」本編でもテーマになっていた越前リョーマと越前南次郎の親子関係。純粋にテニスを楽しむ強者・南次郎と彼に憧れ背中を追い続けるリョーマの関係は、「新テニ」も佳境を迎え、南次郎がU-17W杯会場であるメルボルンに降り立った今再確認される価値が十二分にあると考える。
続いて、公開直後から話題をかっさらっていった、手塚や跡部様たちを差し置いて柳生が持って行ったこの曲で(リョーマ・南次郎以外が歌うパートとしては)もっとも長いパート。原作でも柳生とリョーマが直接言葉を交わしたことはないため、一時期Twitterのサジェストでも「柳生 リョーマ 親友」や「柳生 リョーマの何」が盛り上がっていたことは今でも記憶に新しい。この部分の選抜理由に関しては、許斐先生からは「新テニ」34巻末インタビューにて「漫画を描いていると台詞を考えるより先にキャラが先に喋っている声が聞こえることがあります。」ということを理由としていたが、この部分に関しては、アニメで柳生のCVを担当する津田英佑さんのずば抜けた歌唱力によるものも大きいと思う。こうしたメタな要素は、テニミュ1stシーズンで佐伯虎次郎を演じた伊礼彼方さんが「無駄に男前」と言われたことが原作の佐伯にも逆輸入されたことなどの前例がある。こうした各種メディアミックス展開を緩やかに、でも確実につなげる要素がこの曲に含まれている事が興味深く感じた。
そして最後に、大サビの
世界を敵に回しても 譲れないものがある
素敵な仲間と 愛すべき人達
そして俺の心の中にある自尊心(プライド)
あなたが教えた宝物
というフレーズに注目したい。このフレーズは、「君と僕」⇔「世界の危機」を二極化し、どちらかを選ぶよう迫られる状況になる、いわゆる「セカイ系」とは似て非なるものであると考えた。テニプリ世界において「君と僕」のきわめて小さく個人的な関係と、「世界の危機と僕」という抽象的で大きすぎる関係は決して切り離せるものではなく、繋がっており、「君と僕」を大切にしてこそ、「世界の危機と僕」に立ち向かえるとも読めるし、あるいは映画本編の出来事を踏まえると、傍から見ると「君と僕」規模の出来事が、ある一点から見ると「世界の危機と僕」レベルの大きな出来事になり得る、とも読める。
こうした流れは、シンプルでわかりやすい王道のストーリーライン、カタルシスに乗っかりながらも、随所随所で「反王道」を感じさせるテニプリ本編ともリンクすると感じた。すなわち、「新生劇場版」でありながら、テニプリの真正性をこれでもかと詰め込んでいたのだ。
王道と反王道をしなやかに両立してくれるからこそ、私はこの作品が大好きなのだと再確認できた瞬間でもある。
原作者が一番マーケティング上手なコンテンツことテニプリ
先述の通り、冒頭は単なる「これまでのあらすじ」にせずドラマチックなリョーマVS幸村戦の再構成で鮮やかなエンタメ体験を刻み、最後は「新テニ」の合宿にしれっと接続し続きを示唆する。そうして「新テニに続く」エンドかと思いきや本編の画像をこれでもかと有効活用した公式MADこと「シアター☆テニフェスpetit!」につながる。1本の映画を見ているはずなのに、1幕がストーリー有の演劇、2幕がショーの舞台を見たような感覚になれるのだ。原作を読みふけった諸賢にとっては様々な思い出が噴出する瞬間だっただろう。そして原作未読勢にとっては本編以上の「なんだこれ!?」の嵐だったに違いない。しかし「気になる」「読みたい」という感情を掻き立てたのも事実だろう。
今まで自分が感じた中で、テニプリの外野からの印象は「無印:有名なタイトルだけど古いのでよくわからない、懐かしい 新テニ:なんかちょくちょくネットで話題になってる面白いコマがある」が多かったように思える。さらに巻数の多さ、各種メディアミックス展開というこのジャンルの縦横の広さが布教のネックにもなっていたはずなのに、Twitterを見てみると原作を一気読みしてハマった他ジャンルのオタクや出戻りオタクがなんと多いこと……!これはもう許斐先生がどんなオタクのダイマよりも効くマーケティングを展開してくれたのだろうと思っている。
リョーマ!の物語が原作や各種メディアミックスと少し違う時間軸で起こったパラレルワールドの出来事なのか、それとも原作と地続きなのかは今はまだはっきりしていない。しかし、仮に後者だった場合「タイムスリップで過去の世界にやってきたリョーマを南次郎は自分の息子と認識していたのか」が今後の展開で明かされるとするならば、「原作を読んでもらい、盛り上げるためにメディアミックスにも力を注いでいる」という許斐先生の言葉にも一層説得力があるように感じるのだ。
おわりに
リョーマ!を見て、改めてテニプリというコンテンツが持っている22年の潮流を感じた。今でも形を変えて色々な世代から愛される理由は、王道と反王道、トンデモ展開とシリアスさなど相反する要素を軽やかに両立させる「テニプリらしさ」や、90年代末期~ゼロ年代半ばのノリ*6を冷凍保存しつつ、ストーリー、キャラクターなど多方面*7で今にフィットするように変容し続け、そのあり方でまた相反する要素の両立を実現してみせるコンテンツだからなのではないか、と思う。
「リョーマ!」、既にU-NEXT*8では配信始まってるうえに、2022年も応援上映会を開催するみたいなので何卒!!
*1:現実のテニスの公式大会ルールで禁じられていることは、テニプリ世界でもできないことになっている
*2:そういう意味で、「Decide」は正史、もう一つの「Glory」はファンサービスの色が強いとみている
*3:まあこの作品は起承転転転結みたいな畳みかけ方をしてくるが
*4:この辺は原作を読みこんでいる人向けの省略描写だったように思える。未見の人にヒロインとしての竜崎桜乃がどう映ったのか聞いてみたい
*5:該当シーンは「新テニ」での出来事なのである意味将来を予見するような匂いもある
*6:南次郎周辺の描写とか、大人が干渉しないことによる子供・若者による勢い・青臭さの熱量がもたらす作品全体の空気感
*7:テニプリはこの時代生まれの作品にしてはかなりキャラクター描写にダイバーシティを感じる。許斐先生が意識しているのかはさておき
ミュージカル「テニスの王子様」4thシーズンをこれからも見ていきたい宣言
2021年、初演から18年を迎えたミュージカル「テニスの王子様」。
初演からキャスト、脚本、歌、演出などを変えながらも、根幹の部分はずっと変わらないまま4thシーズンに突入するかのように思えた。
しかし突然の「脚本家、演出家をはじめとしたスタッフを一新する」との報せは、私にとっては困惑と不安を運んでくる要素でしかなかった。
初めてテニミュをちゃんと見たのが去年で、
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円盤や配信を使って後追いで見てばかり*1の私ですら、馴染みのある好きな曲が聴けなくなってしまうこと*2、全く違う演出によって原作が持っている面白味が薄れてしまったらどうしよう……とあれこれ考え込んでしまっていた。
しかしいざ観てみたら、その不安は杞憂だったことがわかった。3rdまでとは違った視点から、「テニスの王子様」という漫画の持つエンタメ性、面白さに挑もうとしていることが感じられたのだ。
ストーリーのこと
物語は桜の舞う卒業式から始まる。えっ卒業式!?と思ったが、すぐに原作42巻(無印の最終巻)の巻末に収録されている小説のことだと気付いた。手塚の感動的な答辞で無事に卒業式が終わったかと思いきや、そこに現れる越前リョーマ。
「部長!悔いが残ってしょーがないんスけど」
「俺ともう一度、戦ってもらえますか」
そして、オープニングともいえる全体曲が始まる。よく「歌詞の雰囲気が3rdまでと違う」と言われているが、ここでは今までのテニミュと使っている音の感じが違う気がして、4thシーズンが目指したい方向性が分かった気がした。ああこれは「青春の爽やかさ」を描きたいんだな、と感じた。原作もたしかに熱い展開はたくさんあるが、特に無印の関東大会あたりまでは、どこかさらりと駆け抜けていくようなところもあると感じているので、そう言うところを押し出したいのかもしれないと推測した。
そして時は一年前に巻き戻る。*3ここは舞台という形式だからこそわかりやすく伝わる演出だと感じた。
第一話の電車シーンからスタート。佐々部ががっつり出て来ることに動揺した。全体を通して見ると、他にも玉林中の二人や九鬼貴一、何より青学の2年非レギュラーメンツも登場していた。新テニミュから導入されたテニミュボーイズ制度のおかげである。新テニミュの頃はなぜテニミュボーイズが必要なのかあまりピンと来ていなかったが、1年トリオにカツアゲを試みる池田と林が出てきたときにものすごく嬉しくなったので、ようやくこのシステムの必要性を理解できた。テニプリはどんなに出番が少ないキャラにもファンががっちりついているからこそ、キャラを登場させることそれ自体がいい方向に機能するのだと思う。
特に、荒井が登場した時には、この燻りながらもレギュラーの先輩のことを誰よりも尊敬してる荒井が一年後にはストイック一派としてレギュラージャージを身にまとってるんだよな……と感慨深いものがこみ上げてきた。
ただこればっかりはもう仕方のないことなのかもしれないが、それによって桜乃や杏のような女子キャラ、竜崎先生のような大人たちの不在がかえって強調されたように感じられたので、そこに対するモヤつきは残った。*4
校内ランク戦での海堂、乾との戦い。4thシーズンではこれまでのボールに見立てた小さいピンスポと打球音でのラリー表現がなくなっていた。その代わり、決め技はセンタースクリーンやネットオブジェの代わりとして使用されることもある衝立状のオブジェにエフェクトが投映されていた。
これ以降も続くこの演出そのものに賛否両論があるようだが、個人的には(実際のテニスではあんなに派手にカンカンコンコンした打球音は鳴らないので)試合のリアリティが増して良いと思っている。あとこれは初めて知った時驚愕だったのだが、ボールに見立てたピンスポを高速で動かすのは想像以上に負担がかかりピンスポ担当の照明さん(一人しかいない)は終わった後アイシングしていたそうなので、今後も長く続けたいという意味でも新しい方法が模索されたのは良いことだと思う。
ここでリョーマより負ける側の海堂・乾に焦点が当たる(ソロ曲もある)のは、能力などをアピールすることで強力なレギュラーすら打ち負かすリョーマの強さをかえって強調させているのかもしれないと思った。ここは演出側の意図を知りたい。
物語は進み、今回の対戦校である不動峰の過去に焦点が当たる。かつて橘さんを演じた北代さんが、不動峰の面々に理不尽に襲い掛かる卑劣な顧問を演じていることに「文脈」を感じてしまった。
「2年の橘だ!俺より強いと思う奴は前に出ろ!」
そんな卑劣な顧問、先輩の前に突如現れた橘さん。この台詞は演者の声が吹き込まれることでより気迫を感じた。そりゃあ皆ついていきたくなるよなあと。だがこの橘さん(GAKUさん)は新テニミュの橘さんを経験しているので、オタクは勝手に二翼のあれこれを経たうえでなお、テニスを続けようと思った彼の心情みたいなものまで汲み取ってしまった。つい2年メンツと同じ視点で神格化にも近い視点で見てしまうが、彼もまた一人の人間であり、それなりの緊張感・不安を抱えながらもそれでも覚悟してここに来たんだろうと深読みした瞬間であり、2.5次元舞台特有の「文脈」を感じた瞬間でもあった。
顧問につかみかかる橘さん、その後すぐに手を出そうとするのが伊武*5で、他に突っかかっていったのが神尾と内村、止めに入ろうとしたのが桜井、森、鉄なのもよかった。これも漫画だけだとタイミングの表現が難しい部分だと思うので、舞台(身体表現)だからこその生々しさだったと思う。
そして地区大会が始まる。テニミュのメインディッシュだ。直近が新テニミュや3rdの全国大会だった分、その派手な演出と比べてしまいそうにもなるが、VS不動峰はいわゆる「テニヌ化」する前なので、そこほど派手な試合展開ではない。しかし、そのことがかえって爽やかさを強調するような結果になったのではないだろうか。もちろん、Winning Shot(仮)やHang in there(仮)など、歌唱面で熱さも忘れていない。特に後者は不動峰の「校歌」だと思われるが、ユニゾンの厚みが迫力を支えていた。*6しかし全体としては「爽やかさ」の方が上回っていた。これは、リョーマ・桃城VS玉林の泉・布川戦が終わった後の「またダブルスやりたくなったら、いつでもストリートテニスコートに来いよ」という言葉にもあるように、この地区大会の段階では、まだ皆「遊び・いつもの部活の延長線上」みたいな感覚が残っているからかもしれない。全国大会ではそんなことは言ってられないだろう。
そしてここでも「ピンスポや打球音がなくてもちゃんとテニミュが成立している」ことを実感した。ちゃんと試合にのめりこめる。神尾ソロで二年が一斉に駆け出して一緒にステップを踏み踊る(伊武だけはポケットに手を突っ込みながら、足のステップはやっている)ところでこれだよこれ~~!!と感じた。先述の通り音の感じは3rdまでとかなり違いがあるし、歌詞も明らかに作詞者の違いを感じさせられたが、根幹の楽しさが変わっていないとわかって安心できた。伊武のソロは、今までのスポット曲にないポエトリーリーディング的要素を取り入れたゆったりしたテンポの曲で、「今のリョーマには時間がないのにこいつめっちゃ邪魔するし煽ってくるやん!!」と一層感じられた。そしてそれをなぎ倒すところにはやはり爽快感があった。
ただ一点気になったのが、鉄のラケットに貼られていた薄いスクリーンのようなものがあまり有効活用されていないように思えたところである。このスクリーンあってもなくてもそんなに変わらないのでは……?と思いながら見ていた。これも演出側の意図が知りたい。
今回のVS不動峰は、地区大会が終わった後、手塚がリョーマと試合させてほしい旨を竜崎先生に頼むシーン、その一方で「月刊プロテニス」記者の井上守さんが越前南次郎と出会い、南次郎から今のリョーマの課題が語られるシーンで幕を閉じる。大事な大事なシーンである高架下の戦いもがっつり尺割いてくれるであろうことへの期待と、南次郎以外の大人の存在によって物語に客観的な視点が増えたことを同時に感じていた。特に南次郎のシーンは、映画リョーマ!を見た後だと余計にリョーマの師匠としての彼の焦りが見えてきた。
そして何より素直に、この続きを早く見せてくれと心が叫んでいた。
キャストのこと
(以下キャストのことは全員キャラクター名で記述します)
特に印象的だった人たちだけだがざっくり記録しておこうと思う。
桃は新テニミュからの続投だったが本当に成長率がすごい。でも多分まだ何か隠し持ってそう。11代目青学がいつまで活動するかはわからないけどなるべく長く居てほしい。
菊丸は本当に、本当に手数が多い。今回みんなこなれたベンチワークだな?と思いつつも特に目を惹くことをやり続けてきたのが菊丸だったと思う。「俺あそこ(不動峰)の顧問きら~~~~い」ですごい顔になってたのがよかった。
多分皆乾にうっすらガチ恋なんだと思う。フレンドリーさとどこか放っておけない感じがよかった。
伊武はお披露目会あたりからずっと言われてたけどめっちゃ伊武だった。びっくりした。
内村のダンスがシャキシャキしててよかった。アンコールの自己紹介曲で毎回ビビってた。
おわりに
べた褒め8:不安感2みたいな文章でしたが、これからどうなるのかはすごく興味があります。シーズンが始まったばかりで過去のシーズンと比較するにも情報量が足りませんし、全肯定するにも全否定するにも時期尚早感が否めないので、ひとまず楽しみながら見守っていこうという考えを文章にしてみました。今はあまり製作者サイドから直接色々な言及が聞けてないので(キャストの発言経由で知ることはある)、特に演出に関して色々直接知りたいことが多いです。序盤の空気感も相まって3rdまでよりもさっぱりした爽やかさを感じることが多かったのですがそれが意図的なのか……とか。
最後に一つ。今、過去曲に対する未練が全くないと言えば嘘になるので、Force of Gravity(仮)で一瞬Do Your Best!のフレーズが出てきたときはそうそうこういうのでいいんだよ……ってなりましたし、ドリライで歌ってくれることがあれば悔いはないな……と思っています。おれにも生のマリオネットを聞かせておくれ~~……
#ハロプロソロフェス 第2弾リクエスト
まさかの第2弾決定ということで今年もアンジュルム全員のリクエストを書いていこうと思います。
去年のは↓から読めます。
lettucekunchansan.hatenablog.com
こうして読むと一年でメンバーに対する印象がガラリと変わってるのがわかって面白いですね。去年から参加してるメンバーに関しては去年何を歌ったかも踏まえて考えてみたのでよければ。
竹内朱莉
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①竹内朱莉
②アンジュルム
③Moonlight night〜月夜の晩だよ〜/モーニング娘。
去年のベテラン組の流れ見てるとチャレンジングな勝負に出るより安定感を重視してるのかな?と感じました。安定感を活かしつつこの曲が持ってるパワーを炸裂させてほしいです。バラードコンサートを通して歌に対する自信が一層ついたとも思うので……。
川村文乃
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①川村文乃
②アンジュルム
③「残暑 お見舞い 申し上げます。」/°C-ute
去年から「かむちゃんに切ない曲を歌ってほしい」って言ってきたんですけど、いよいよ「泳げないMermaid」で覚醒した感じがありますよね。というわけで、℃-uteからこの曲。「もう少し強い女だと思ってた 自分のことを」が聞きたい。
佐々木莉佳子
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①佐々木莉佳子
②アンジュルム
③Midnight Temptation/°C-ute
CanCam専属モデル抜擢など美しさの加速が止まらない莉佳子。ぜひとも℃-uteの精錬された美を表現してほしいと思いこの曲を選びました。あと莉佳子の声ってもともと岡井ちゃんっぽいハスキー声だったけど、歌唱力が上がって当時の岡井ちゃんにも匹敵するぐらいになっているのではないでしょうか。
上國料萌衣
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①上國料萌衣
②アンジュルム
③禁断少女/Juice=Juice
「かみこはあざとくない一派」としてまっすぐな可愛さで貫いてくれ~~~~という一心で選びました。一音目でオタクが卒倒するぐらいのパワーで頼む!
笠原桃奈
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①笠原桃奈
②アンジュルム
③明日の私は今日より綺麗/こぶしファクトリー
桃奈はずっと色々なことを深く考えててそれゆえに葛藤することも多いのかな、と思ってたんですけど(だからこそ子供-大人で葛藤するような歌が合うと思ってました)、ここ一年の経験を通して、これは悟りを開きかけてるな?って思ったので、去年より歌詞の主人公の覚悟が決まってそうな歌を選びました。
伊勢鈴蘭
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①伊勢鈴蘭
②アンジュルム
③男友達/モーニング娘。
どんどん#れらぴ系女子のブランドを定着させていっている鈴蘭。「泳げないMermaid」でも思ったけど、やっぱりこのアンニュイな声を活かしてほしい。あと「ほぼ日の怪談」見て確信したんですけど鈴蘭の男友達になりたいオタク多いでしょ、ということで……。*1
橋迫鈴
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①橋迫鈴
②アンジュルム
③伊達じゃないよ うちの人生は
去年の今頃はメンバーからもオタクからも「可愛いみんなの孫」扱いだった鈴ちゃん。しかし一年経った今、その要素を残しつつ「悪ガキキャラ」「イケメン枠」という新しい才能が開花しています。悪ガキ特有の万能感をこの曲で表してほしいです!
川名凜
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①川名凜
②アンジュルム
③もう 我慢できないわ〜Love ice cream〜/モーニング娘。’17(尾形春水/羽賀朱音/加賀楓/横山玲奈)
ケロンヌがアイス食べるときこういう深遠なこと考えながら食べてたら、嬉しいので。この曲はつんくさんのライナーノーツ*2でも「このアイスクリームという事を題材にいかに男前に歌うことができるか。」と言及されてますが、ケロンヌならそれができると思います。
為永幸音
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①為永幸音
②アンジュルム
③真夏の光線/モーニング娘。
しおんぬには初期モーニングが似合うと思います!
「ゆらゆら くらくら」の歌声で初期モーニングの雰囲気が合うだろうなと確信しました。哀愁漂う曲とも迷ったけど、ここは幸せを感じられるこの曲で(幸せの音だけに)。
松本わかな
#ハロプロソロフェス
— 🌙レタス🥬(26/51) (@__Lelelettuce) 2021年6月10日
①松本わかな
②アンジュルム
③念には念/こぶしファクトリー
ひなフェスでの「大器晩成」のパワフルな落ちサビを聞いて以来「松本わかなさんに叱咤激励してもらいたい」気持ちが頭から離れないんですよね……こういうのがモロに選曲に出るの、露骨にセクシーな曲リクエストしたりするよりハズい。
次点(敬称略)
Rockエロティック/竹内朱莉
悲しき雨降り/佐々木莉佳子
赤いフリージア/上國料萌衣
Good Bye 夏男/笠原桃奈
地球は今日も愛を育む/川村文乃
ジリリ キテル/伊勢鈴蘭
私は天才/橋迫鈴
夏DOKI リップスティック/川名凜
キソクタダシクウツクシク/為永幸音
ヤッタルチャン/松本わかな
今年も一人当たり2-3曲まで絞ってから最後の最後1曲に決めるのに本当に迷いました(メンバー1人につき1曲しかリクエストしてはいけないというルールはありませんが、これはマイルールです)。メンバー1人1人に対してまず「こういう路線が聞きたい」というテーマを選んでからそれに合いそうな歌の候補を何曲か考えて絞り込む方式です。
そういうわけで悩んだ経緯を今年も記録しておこうと思います。結局はメンバー本人が気に入った好きな歌を自分なりに考えた表現で歌ってくれたらそれでいい!
「俺たちが常勝立海」という宣言―「テニプリ BEST FESTA!! 王者立海大 REVENGE」配信感想
※以下、ステージ上の演者さんはキャラとして表記します
他にも色々書きたい記事はあるのだが大学だとか親が骨折して身の回りの手伝いをしないといけなくなったりだとか、忙しさにかまけて何カ月も放置してしまった。なんとか書く習慣を取り戻していきたいなと思う。
そんなわけで復帰一発目はベスフェス立海の感想です。新テニが立海の再出発、幸村の物語が「もう一つのテニプリ」である以上、推しとは公言していないんですが注目する機会が多くてどうしてもこれは見ておかないとなと思って、配信を観た次第です。
「王者立海大」をタイトルに冠する意味
今回のライブは関東青学vs立海編の各シーンの生アフレコを縦軸に据え、そのストーリー進行に沿って歌唱する曲が選ばれたという。*1しかし、選ばれる曲は無印アニメ制作・放送期間にリリースされた楽曲・無印の名試合をベースに新たに製作されたOVA「BEST GAMES!!」テーマソングなど様々な年代から選ばれており、物語のみならずテニプリのアニメそのものの20年の歴史をアーカイブしていくようなセットリストとなっていた。
この記事を読んでいる人ならテニプリの物語の流れはすでにご存じだと思うので詳細は省くが、関東青学vs立海まで、立海は闘病中の幸村を欠いたまま無敗での全国三連覇を目指し駆け上がってきた。まさに常勝の王者である。ここに、「王者立海大」を冠した一つの理由があると思う。
しかし、理由はそれだけではないと考える。セットリスト全体を見ると、トークコーナーで玉川登場→「I LOB YOU」、レギュラー全員集合の「SUMMER HIGH」ブロック、切原VS不二戦後のアフレコ後の「驟雨」「ディープグリーン、エバーグリーン」ブロックだけ少し毛色が違うことに気が付かないだろうか。リーディングで語られる本編の部分から少し外れた要素を歌うこれらの楽曲を立て続けに歌うこの部分は、「新」を含めた物語の時系列上最新に位置する「氷帝VS立海」をも経た立海、さらに言うならば「今」の立海を表しているパートだと考えている。関東大会・全国大会での敗北を経て再出発し、合宿・ワールドカップとさらに広い世界に触れて新しい「王者」としての道を歩く「王者立海大」の姿だと言える。
この二つの「王者」の姿を見せたことが、今の立場の立海にふさわしい内容だったのではないかと考えているのだ。
各パート感想
当日のセットリストは公式Twitterで公開されているのでここでもシェアしておく。
【#ベスフェス】
— アニメ「新テニスの王子様」公式 (@shintenianime) 2021年5月11日
配信中のセットリストを大公開!!
U-NEXTの視聴期間に何度でもお楽しみください♪
チケットの販売期間は5/15(土)の23時59分までです🙌🏻✨
▼視聴はこちらhttps://t.co/fR2aUjUJp2
視聴期限:5/16(日)23:59まで#テニプリ pic.twitter.com/fEsTuBMJs0
試合前のシーンのリーディングの後、「たとえ草試合であっても負けは認められない」常勝の精神と、幸村不在の中彼の思いも背負って戦おうとする真田の覚悟を歌う「No Surrender」、その裏で一人、病気と自分自身の心との戦いに挑んでいる幸村の「宣告」が続き、同じ時系列の中で複数の語り手が立ち上がることで、物語が一回り、二回りと厚みを増していく。
続いてダブルス2。ブン太の「だろい?」、ジャッカルの「GARURU!!!」とステージジェニックな曲が続き、先ほどまでの深刻な空気が嘘のように盛り上がる一方、ボレーと防御の徹底した戦術の分離も曲調の対比で表現されたように感じた。(余談だがこの2曲はテニラビの譜面も正反対の様式で面白い)
そして、立海キャストの皆さんの自己紹介を挟んでリョーマの「Still」。ここで「戦うべきライバル」としてテニプリの主人公・越前リョーマが登場することには、あくまで「今日の主役は立海」という意思と、彼らがコート上で勝負する意味が現れていると感じた。
ダブルス1。アフレコパートの「意外とノリノリじゃったぞ」「仁王~~くん!」の所にこの二人の関係がよく出てるなと思ってニンマリ。ここで仁王の「P気持」。「P」は「ペテン」でもあるし「Play」でもあるけれど、何より「Pleasure」でもあるし「Passion」でもあるのが、普段の飄々とした仁王の態度からにじみ出る全力で勝ちに挑む姿勢を感じられて、ここで歌うにもふさわしい曲だと思ったし、個人的に仁王のキャラソンのうちかなり好きなものでもあるので嬉しくなった。プピーナ。
続いてヤング漢の「業火絢爛」。前々から良い曲だと思っていたがこの関東立海戦編の文脈に入れ込まれたことによって、言葉の覚悟がこちらに向かってより一層飛び込んでくると感じた。「馴れ合いじゃなく/独りでもなくて/厳しさを共有することを方法論としてきた」が好き。
トークを挟んで、玉川の「I LOB YOU」とヤング漢の「SUMMER HIGH」。「I LOB YOU」はエースは切原に託しつつ部長として次世代の立海をまとめ上げるという約束の歌、切原へ歌われている歌と言っても過言ではないだろう。「SUMMER HIGH」はレギュラーが全員集合して思い思いの形で夏を楽しんでいた。テニプリというコンテンツ全体を通しての所感で、よく「まだ中学生」というワードが使われるが、その「まだ中学生」というワードを存分に表現している気がした。この舞台の主役は間違いなく、中学生という限りある時間を全力で駆け抜ける彼らなのだ。
しかしその空気も、シングルスに挑む生アフレコで一変する。柳の「Master Plan」、切原の「赤く染める月」とアグレッシブな展開が続き、ここまでの勝利を上回る勝利を幻視する。無論私たちは先の展開がどうなるかは知っているが、どうか勝ってくれ、負けないでくれ、と願ってしまうのだ。
そして満を持して「DISPECT」。草試合でのリョーマ戦以降、越前リョーマのライバル代表として立ちふさがり、「王者」の立海の中で最初から挑戦者としての闘志をむき出しにする切原、そんな彼との試合を通して「勝つことへのこだわり」に目覚め始める不二、両者の試合を見守りながら、次の展望を予見するリョーマ。そんな彼らの三者三様の歌声が絡み合い、イヤホンで音源を聴く以上、こちらの想像以上のパワーで畳みかけてきた。事前に二人のゲスト参加は告知されていたものの、この気迫ある登場には会場で声を出さなかったオタクたちも全力で称えたいと思った。私なら太もも~膝を叩いてアザ作りまくってるので。
関東大会が幕を閉じ、立海は準優勝に終わった。しかし「挑戦者」として全国大会に向き合う覚悟、幸村の手術の成功が次の展望を予見させる。
ここで幸村の「驟雨」である。厳しく荒れた雨風と、雨が上がった後の晴れた空が与える恵みを知っている彼はどこまでも進んでいけるのだ。「どんなことがあっても明日だけは必ず来る」というのは、今の私たちの現状に対するメッセージにも聞こえた。
本編ラストは「ディープグリーン、エバーグリーン」。中学生=青春の終わりの匂いも感じさせるこの曲がラストなのには割としっかりめに泣いてしまった。なまじコンテンツが長続きしているぶん彼らの青春は永遠に続くと思ってしまうが、彼らは着実に時間の流れの中に生きているのだ。彼らがいつかこの時を思い出して笑ったり泣いたりできるといいな、この時の情熱と衝動を大人になっても忘れないでいますように、と密やかに祈った。
アンコールはもはやお決まりの「LASER BEAM」と、トークを挟んで締めくくりにふさわしい「ベスフェス~Are We Cool?~」。これまでの文脈関係なく盛り上がれるアンコールは楽しいけれど、ここで歓声や合いの手が出せない現地勢の歯がゆさも感じてしまった。LASER BEAMで合いの手が入れられないのは軽い拷問レベル。
テニプリがキャラソンを生み出し続ける意味
キャラソンそのものの物語と、その背骨となっている本編の物語を同時に味わうことによって、いくつかあるテニプリというコンテンツにおけるキャラソンの立ち位置のうち一つが明確になったライブでもあった。それは、「原作のエピソードをキャラクター個別の視座で再解釈」する立ち位置である。
テニプリに限らず、どのような作品でも本編の物語の進行はいわゆる「神の視点」ともいえるような、第三者が俯瞰する形で描かれることが大半である。今回のライブで軸となっている関東青学vs立海編では幸村不在で進む試合中心に描かれ、幸村の描写は本人の視点より真田など周辺の人々から見たものが多くなっている。
しかし、先ほどの繰り返しにはなるが「宣告」であれば、強くなりたい、もっと前に進みたい思いとは裏腹にうまくいかない現実に対する葛藤と迷いが幸村本人の視点で歌われる。一方で、「No Surrender」はそんな幸村の思いすら背負って戦う真田の覚悟そのものである。*2
同じ時点のことであっても様々なキャラの異なる視点・文脈が重なり合うことで、物語全体が縦横に広がり、作中世界全体がさらに深まるのだ。
ただ本編の展開と同期したキャラソンが生まれるだけではなく、その作中世界に生きている血の通った人間としての感情が滲み出ているのが、テニプリのキャラソンが持つ大きな魅力だと再確認できた。
原作・アニメ本編のストーリーをなぞるライブが物語をさらに補強する、という特徴はオーソドックスでありながらもとてもユニークなので、今後キャラソンの型を守りながらどのように既存の様式を飛び越えていくのか、に個人的に注目している。*3
2020年総括
今年から晴れて大学生になったんですがその実感もほとんどないままに一年が終わってしまいますね……でもまあぼんやりしたり自分の趣味に没頭したりできるだけの精神的な余裕があったことは幸運だったかもしれません。
コロナ下で情報の取捨選択が得意になって優柔不断がちょっとマシになったかな~~とは思います。
クソッタレ2020、頼んだぜ2021って感じでやっていきましょう。はやく推しに会いたいよ。
ボイメンごと
有償無償問わずめちゃくちゃ配信してくれたのはありがたかったんですけど配信ってどうしても途中でトイレ行きたくなったり眠くなったり他の事考えたりして集中が途切れますね……リリイベぐらいの尺だと割と見れるんですけど長丁場になるとキツい。あと雑談系の映像付き配信がどうしてもしんどいので(音だけでいいじゃんってなるので)それ系全部見てません。すまんな。
でも本田君の24時間配信はめちゃくちゃ面白かった!!オタクはクッソ試されたけれども!!(推しの出番がド深夜もド深夜で本田君も小林さんも深夜スイッチ入ってるし私も深夜テンションだからもう何されても面白くて仕方なかった)
そういう意味で映画館やライブハウスって「強制的に心を『集中モード』に切り替える」って意義があったんだと気付きました。
あと後輩たちへの解像度も少し上がりましたね。けんぱが可愛いし頼我くんも応援したい。
今年は推し活の時間をほぼ楽曲・パフォーマンス深読みに充ててました。
lettucekunchansan.hatenablog.com
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それから地味にこういう企画↓もやってました。年度末には事務所全域を対象にした楽曲大賞もやる予定なのでよしなに。
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ハロプロごと
自分ってハロプロ箱推しというよりアンジュルム大贔屓(おおひいき)のほぼ単推しのオタクなんじゃないか?と思った一年でした。
むろの卒業が単独卒コンではなくひなフェス、しかも無観客で、「あんなに一生懸命に頑張ってきたハロメンにそんな仕打ちをしなくたっていいじゃないか!」と憤っていたのが遠い昔のようです。ロングスカート部分が着脱式で、一緒にガンガン踊れるスタイルだったドレスが実にむろらしくって淋しいはずなのになんだか笑顔になってしまいました。
それからも全くライブができない時期があったりと紆余曲折ありましたが、最推しの船木結ちゃんの卒業を無事に見届けることができて良かったです。卒業が延びたことで本来生まれるはずのなかったイベントが多くてオタクって「嬉しい誤算」に弱いよな~と改めて思いました。
特に鈴蘭との「やってんな」合戦は確実にふなちゃんの大きな置き土産でしょうし、ソロフェスに出ることも、新メンバーと絡むことも本来ならありませんでした。
卒コンの鈴蘭からの言葉で大爆笑してたナイトルーティン動画が泣き動画に変わってしまいましたね……
アンジュルム伊勢鈴蘭のナイトルーティン★Layla Night Routine
ちなみに今年の楽曲大賞はこんな感じでした。
lettucekunchansan.hatenablog.com
テニスの王子様にハマった話
今年一番想定外だった話しますね?このタイミングでテニプリハマるなんて思ってませんでした。
元はと言えばたまたま流れてきた全国立海の配信を見たのがきっかけなんですよね。これのおかげで敬遠してた2.5次元に対しても身構えずフラットに見られるようになった。
lettucekunchansan.hatenablog.com
その後一気に原作も読んで、こんなハマると思ってませんでした。それでもファンブックにアニメにゲームにまだまだ掘る鉱脈があるのが長寿コンテンツたるこのジャンルの恐ろしいところですね。来年は氷帝vs立海の配信に新作アニメ映画の公開が既に決まってますし、アニメ20周年ってことでまだまだ面白い企画が待ってるんだろうなと思ってます。テニミュ4thも控えてますしね……(新テニミュはこれっきりだけじゃなくて今後もやるのかな?)
このコンテンツ、「ネット炎上(本当にコートでネットが燃えている)」然り「デカ過ぎんだろ……」然り中高生の人間離れした有様が注目されがちですけど、彼らの内面はどこまでもテニスに真摯に向き合ってて、友情や他の趣味や勉強も悩みながら楽しんでるごくごく普通の中高生たちなんですよね。そこらへんはすごく許斐先生が一人一人のキャラに真摯に向き合ってる(まるで生きている人間のように!)んだな~と思ってます。
あとはリアルな身内に不二周助さんのオタクがいるのが発覚して余計にズブズブハマっていきましたね……。孤独にハマるのにも限界がある。
芥川慈郎さん、私(わたくし)にもシオマネキ見せてください。
創作活動
テニスで久々に新しい二次元ジャンルにハマったのと同時に足を洗ったと思っていた腐女子に戻ってしまいました……創作アカウントまで作ってせこせこヘッポコ絵とSSを製造してます。ここまで熱心に二次創作やってるの多分中学以来。萌えのパワーって怖いですね(うわあ!いきなり正気に戻るな!)
来年は本出してみたいな~と思いつつ、既に今一つ考えてる企画があるので楽しみにしておいてください。
あとニコマス製作もゆるっと復活してました。
↑を2019年2月に投稿して1年半ぶりぐらいにMAD作りましたね。
個人作1本と
こちらのメドレーに参加させていただきました。
その他ジャンル
ニジガクおもしれ~~~~!!!!!!ウルトラマンZ楽C~~~~~~!!!!!!!!!!!キラメイジャーあったけぇ~~~~~~~!!!!!!!!!!!!ワートリ再燃!!!!!!!!!!!!!!!MIU404、ありがとう!!!!!!!!!!!!!!
みたいな感じでした。お笑い界隈に底無し沼の気配を感じており、本能的に避けようとしています
聴いてよかった音楽
曲単位、アルバム単位に分けてざっと箇条書きで。
・ドント・ストップ・ザ・ダンス /フィロソフィーのダンス
・清濁あわせていただくにゃー /わーすた
・週刊少年少女アイドル /虹のコンキスタドール
・まろまろ浄土 /巫まろ
・Not Found /Sexy Zone
・Sorrow /松尾太陽
・リテラチュア /上田麗奈
・A Perfect Day for Earl Grey/アールグレイ日和 /カジヒデキ
・BL /女王蜂
・感電 /米津玄師
・Let's go C! /芥川慈郎(CV.うえだゆうじ)
・JUGEM /嘘とカメレオン
・HELP EVER HURT NEVER /藤井風
・キテレツメンタルワールド /東京ゲゲゲイ
何のオタク??????
おわりに
ま~~~~~文章としてまとめるのはこんなところにしておきましょう。色んな分野に手を出してますが企画屋さんしてる時が一番楽しいです。来年も何か面白いことができたらいいなと思います。というかそのために今動いてます。
「ハロプロを通して他ジャンルを知る」をテーマとしたコラム・論文の企画を今動かしてるのでよければ!!!!!↑が要綱です!!!!!!!
2020年も「新緑ノスタルジア」及びレタス/キャベツを愛してくださりありがとうございました。2021年も愛し合いましょう。